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岩手大学の紹介

岩手大学は岩手県盛岡市にある国立大学です。農学部の前身である盛岡高等農林学校は、童話作家の宮沢賢治が卒業したことで知られています。

学部は人文社会科学部、教育学部、理工学部、農学部の4つを設置。自然豊かで広大なキャンパスに4学部と教育研究支援施設が集まり、「地域の知の府」、「知識創造の場」としての学びを提供しています。

2030年を見据えて目指すべき方向性を策定した「岩手大学ビジョン2030」では、「共考と協創(共に考え、協力して創る)」を行動規範に掲げています。また、宮沢賢治の想い「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を受け継ぎ、誰一人取り残さない持続可能な社会の実現のため、予測不能な時代を切り拓き、力強く生きる力を持ったレジリエントな人材の育成を目指しています。

「つなぐビールプロジェクト」

岩手大学では、学生が中心となり、学内で仮想企業を立ち上げる支援を行う「学内カンパニー」という制度を導入しています。この制度を利用して、2021年に「岩手大学クラフトビール部」が設立されました。

その岩手大学クラフトビール部が、盛岡市にあるブルワリーなどとスクラムを組んで開始した取り組みが「つなぐビールプロジェクト」です。このプロジェクトでは、岩手県内の遊休農地を利用して、ビール製造の原材料である二条大麦を栽培することにより、原料の県産化を目指しています。

今回は、岩手大学クラフトビール部の立ち上げに尽力された初代代表、佐藤稜氏に対するインタビューを行いました。

農地を有効利用しながら地域経済を循環

-「つなぐビールプロジェクト」の概要を教えていただけますか?

岩手大学クラフトビール部は、農学部の学生および経済学を専攻する学生を中心に、2021年6月に発足しました。2022年12月には、国産のビール原料の安定供給を目指す「つなぐビールプロジェクト」が始動しました。

現在、ビール製造に必要な麦の国内生産率は約7.3%に留まり、大部分は輸入に頼っています。このプロジェクトは、国内自給を一部実現することで、農地を有効活用し、地域経済の循環を促進することを目的としています。

特に岩手県を含む地方においては、人手や資金といったリソースの不足が課題となっています。これらの問題は、単に公的資金(税金)を投入するだけでは解決しがたいものです。地域内でのリソースを結集させ、新たな価値や産業を創出することが、この課題に対する重要なアプローチとなります。

しかし、経済循環の促進は目的ではなく、一つの手段に過ぎません。根本的な目標は、地域内での雇用創出やビール産業における賃金の向上、労働環境の改善に繋げ、より持続可能な地域社会の構築を目指すことにあります。

具体的には、2030年までに県産化率1%を達成することを目標に掲げています。これは、岩手県内の約15ha(ヘクタール*)の農地でビール用麦を栽培することを意味します。

15ヘクタールの面積は、農業的観点から見ると比較的小規模であり、県内の農業や地域経済への影響はごくわずかです。まずはビールの県産化に向けた基盤をつくること。それが、このプロジェクトの役割です。

1ヘクタール*とは、100m×100mで10,000㎡のことです。

多様な主体とつながり、後世にもつなぐ

-プロジェクト名の由来について教えていただいてもよろしいでしょうか?

プロジェクトに協力していただいている岩手県盛岡市のブルワリー「株式会社ベアレン醸造所」が出版した書籍の名前が由来です。単に書籍の名前にあやかっただけでなく、「つなぐ」にはさまざまな意味が込められています。ビールの県産化を実現する過程では、さまざまな主体と連携していく必要があります。ビール麦を栽培する生産者や醸造を担うブルワリーはもちろんですが、それだけではありません。

例えば、収穫した麦は麦芽の状態に加工するモルティング(製麦)という過程を経なければアルコールが醸造できません。そのため、製麦業者の協力は不可欠です。また、種子メーカーとも連携し、原料となる麦の種子から生産しているのもプロジェクトの特徴です。このように、ビールの県産化を通じて今まで接点がなかった「多様な主体をつないでいくこと」が、プロジェクトの横軸となります。

一方で、プロジェクトの縦軸として、農地などの地域資源やビールづくりに関する技術を「後世につないでいくこと」も意識しています。ビールの醸造に使う麦は繊細な品質管理が求められるため、一般的な麦に比べても栽培技術の難易度が高いといわれます。また、地域のブルワリーも個性的なクラフトビールを醸造するため、独自の技術を確立しています。こうした地域ならではの技術の継承も重要なキーワードです。

-クラフトビール部を立ち上げた背景を教えていただけますか?

私は長野出身ですが、高校2年生の頃に、地元の生産者と協力して地域の遊休農地を有効利用するプロジェクトを立ち上げた経験があります。私の地元は農村部に位置し、農地の維持管理が課題となっていました。

大学に入学してからも、先輩が立ち上げた岩手県内の遊休農地を活用する活動に参加しました。その時はニンジンなどの根菜を中心に栽培し、地元のスーパーや食品加工業者などと連携して、ジュースやドレッシングなどの製造販売を行う6次産業化にも取り組みました。ただし、ニンジンなどの栽培には多くの手間がかかるため、農地の維持管理には適していないという問題がありました。

現在の日本の農業では、人手不足よりも1人当たりの管理可能な農地面積が小さいことが深刻な課題となっています。人口減少が進む中で、1人当たりが管理できる面積を拡大しなければ、農地の維持管理が難しくなります。そこで、面積当たりの労力が少なくて済む作物として、ビール麦に注目しました。

私は農学部に所属していますが、経済学のゼミにも参加しています。そのため、農業と経済の両面からアプローチできると考え、クラフトビール部を立ち上げることにしました。

部の設立に当たっては、私たちは本学独自の「学内カンパニー」という支援プログラムを活用しました。このプログラムでは、学生が主体となって学内に仮想企業を立ち上げ、大学が事業化を支援する仕組みです。

高校時代の経験が熱意の原点に

-プロジェクトにさまざまな関係者を巻き込むには相当の熱量が必要なのではないかと思いますが、その原動力は何だったのでしょうか?

高校時代の経験が私の原点となっています。先ほど、高校生の頃に遊休農地の活用プロジェクトに関わっていたとご説明しましたが、もともと私が専門的に学んでいたのは社会学でした。

特に、戦後の満州からの引き揚げに関する調査に力を注いでいました。実は長野県は、戦時中に国策として行われた満州移民の送出人数が全国で最も多い県なんです。

そして、満州移民にまつわる背景を深掘りする過程で、格差や貧困などの問題の深刻さを再認識しました。地域資源や経済を循環させ、平等で持続可能な社会を構築していくことが重要だと強く感じるようになりました。

その点で言えば、農業などの一次産業は他の産業と比較しても、地域所得の向上に貢献しやすいという利点があります。地域資源を活用して生産した商品を地域外に販売することで、地域所得の流出を抑えたり、循環させたりする効果が期待できます。

ただし、自分と同年代の若い人々はどうしても自身のキャリアや学業に精一杯で、地域の将来を考える余裕がないのも事実です。しかし、誰もがそのことを考えていないからこそ、誰かが考えなければなりません。そんな思いから、「自分がやろう」と立ち上がりました。

大変そうに見える物事も、やってみたら案外できてしまうものです。無理かどうかはやってみるまで分かりません。高校時代の早い段階でそれに気づけたことは、大きな糧になっていると思います。

合意形成の大切さと難しさ

-プロジェクトでは他の企業や団体との交渉が特に大変だったのではないかと感じます。そのあたりはどのように進めたのでしょうか?

ありがたいことに、プロジェクトの規模は拡大し、参加主体は約10団体に増加しました。
これには、本学とベアレン醸造所、麦を栽培する農業法人、種子メーカーだけでなく、国の研究機関である農研機構の東北農業研究センターや、盛岡市と隣接する紫波町役場なども含まれています。

率直に申し上げますと、各企業や団体に協力をお願いする段階では、あまり苦労することはありませんでした。私たちが以前から県内で様々な活動を行っていたことが幸いし、外部との連携が既に多く築かれていたことも一因です。プロジェクトの目的や背景を丁寧に説明し、誠意をもってお声がけしたところ、二つ返事で快諾していただきました。ただし、初めの段階では順調に進んでいましたが、参加主体が増加したことで合意形成が困難になりました。

例えば、先ほど15ヘクタールのビール麦栽培を目指すとお話ししましたが、麦の生産者からすれば15ヘクタールは小規模です。一方、ブルワリー側からすれば、15ヘクタール分の麦を醸造するのには相当な労力が必要です。加えて、試験栽培を主に担う研究機関からは、もっと小規模であっても問題ないとの意見が出ています。一方で、自治体からはより大規模な面積での取り組みを求められています。

各団体がそれぞれの立場から意見を出す中で、私たちはいわば通訳役として立ち、情報共有や調整を行う必要があり、これが最も困難な課題です。また、部内での合意形成も課題となっています。学生による部活動であり柔軟性がありますが、一方で無責任になってしまいがちです。目標を一致させるためには、ルールが必要です。将来的には法人化し、より責任ある雇用形態を導入することも視野に入れています。

-合意形成していく上ではどのようなことを意識していますか?

毎週のように外部との打ち合わせがありますが、メールのやり取りだけではなく、しっかりと顔を合わせて話をすることを意識しています。また、何か落ち度や問題があった時には、すぐにお詫びすることも心がけています。

他にも、とにかく迅速な連絡をすること、そして些細なことでもこまめに各団体に共有することも大切です。例えば、ビールの醸造スケジュールなどはブルワリーとの間だけで決める内容ですが、直接的には関わりのない団体にもしっかりと連絡するようにしています。

岩手県初、100%県産原料のビールが完成

-プロジェクト第1弾の商品である「つなぐビール ファーストバッチ」について教えてください。

2023年1月に完成したこの商品は、一般的な淡色のピルスナータイプのビールであり、国産の麦芽ならではのフルーティーな味わいに仕上がりました。また、三陸沿岸の魚介料理との相性も抜群だと考えています。100%県産原料を使用したビールは、岩手県では初めての試みであり、その実現に対する喜びは非常に大きかったです。

一方で、味には満足していますが、醸造できるビールの種類が限られているという課題があります。黒ビールや赤系のビールなども増やしたいと考えていますが、現状では基本的にピルスナータイプしか醸造できません。

ビールの色は、使用する麦芽の色によって決まります。製麦の工程の中で、焙煎する際の温度などで麦芽の色が変わるため、多様な麦芽を確保するには製麦施設を充実させる必要があります。このため、2024年度からは製麦拠点の整備も進めていく予定です。

-商品の販売は今後どのように展開していく予定でしょうか?

ビールは、販売元としてべアレン醸造所によって提供されることとなります。2024年1月25日から醸造が開始され、3月5日に完成する予定です。

量産体制が整いつつあり、べアレン醸造所のオンラインショップでもご購入いただけるようになります。最初は4千~5千本程度と少量の供給となりますが、その後は順次、生産規模を拡大していく予定です。2024年度には年間十数万本の販売を目指しています。

「地産」と「地消」の両面に課題も

-プロジェクトの今後の展望をお聞かせください。

現在、ビールの県産化に向けて、生産と消費の両方で課題に直面しています。
生産面における一つの課題は、寒冷地向けのビール麦の品種改良です。また、麦の種子を生産するメーカーが現在ではほとんど存在しないため、種子の確保に関するインフラ体制の整備も必要不可欠です。

先述の通り、多様な麦芽を供給するためには設備の導入が不可欠です。現在、ビール麦を栽培している農地の近くには空き校舎があるため、これを製麦拠点として活用できないかについて話し合っております。

一方、消費面では、県産化に伴い原料価格の上昇により商品価格が高騰する可能性が課題となっています。
そこで、消費者の理解を促進するためにも、プロジェクトの背景や県産化による経済・環境への効果などを発信する媒体の立ち上げを検討しております。そのため、ベアレン醸造所や麦を生産する農業法人と共同で、SNSを活用したメディア運営の可能性を検討中です。ほかにも、プロジェクトによる経済効果や環境影響を定量的に分析して評価することが求められます。私たちの最大の強みは、大学が運営母体であることですので、各研究室の協力を得ながら分析を進めていきたいと考えています。

さらに、ビールを醸造する過程で廃棄されるモルト粕の再利用にも取り組んでいます。モルト粕を堆肥化して麦の栽培に活用する循環型農業に一部の農地で取り組んでおり、魚の養殖用の飼料としての可能性も検討しております。

また、大学での研究成果を地域の課題解決に社会実装するための基盤がまだ不十分であると個人的に感じております。地域の方々に、公的な研究機関や教育の価値がなかなか伝わっていないのは大きな課題です。このため、自身の展望としては、大学と地域社会が連携できるような枠組みを整備し、卒業後もその連携に貢献したいと考えております。

-最後に、プロジェクトを通じて学んだことなどをお聞かせください。

自分自身の経験から、個人だけでは実現できることには限界があることを痛感しました。
社会を変革し、新たな仕組みを構築するには、自らとは異なる多様な人々との協力がとても重要です。アフリカのことわざに、「早く行くなら一人で行け。遠くまで行くなら皆で行け」とありますが、これはまさにその通りだと心から思います。

地域の課題に対処するためには、長いスパンでプロジェクトを考えていかなければなりません。多くの人々を巻き込み、長期間にわたって取り組むには、丁寧な説明による納得が何よりも重要であるとあらためて感じました。