
SDGs 大学プロジェクト × Tama University.
目次
多摩大学の紹介

多摩大学は、1989年の開学以来「実学」を標榜し、時代の最先端を走る産業界で活躍した人材を教壇へ多数登用する等、「実学教育」を一貫して実践しています。今を生きる時代についての認識を深め、課題解決能力を高めるため、教育理念を「現代の志塾」とし、実社会に活かすことのできる力を備え、問題解決の最前線に立つ「志」人材の育成に尽力し、個性と特色にあふれた「ゼミ力の多摩大」を形成してます。
多摩大学には社会と交わる多彩なゼミナールがあり、それぞれ産業社会や地域社会が直面する課題を研究テーマに取り上げ、その解決策を考える中で、問題解決の実践力を養っています。1年次から教員が学生とともに、企業や自治体などの地域連携に関するプロジェクトに参加しています。
経営情報学部では、ビジネスの持続的な発展に不可欠なデータサイエンスや情報デザインの活用など、新時代に必要なデジタルスキルを培うとともに、経営の知識を広く学び、激しく変化する社会でもしなやかに対応できる人材を育成しています。
また、グローバルスタディーズ学部では世界に向けて視野を開きながら、地域の課題解決にも貢献する人材を育むために、語学力と教養を磨き、社会課題への感度を高め、ホスピタリティを高めるカリキュラムを充実させ、サービス産業や観光産業などで活躍するための人材を育成しています。
高齢化が進む奥多摩町にぜひ学生たちの力を

ー「奥多摩町活性化事業開発プロジェクト」を進めることになったきっかけや、奥多摩町における課題について教えてください。
松本教授:私が奥多摩町との関わりを持つきっかけとなったのは、ある講演会でお話をさせていただいたことです。
その講演会では私が基調講演*を行い、その後、地域活性化に取り組む複数の団体が発表を行いましたが、その中に奥多摩町で活動しているNPOの方がいらっしゃいました。講演会が終わった後、そのNPOの方から「奥多摩町では高齢化が進み、若い人が少ないので、ぜひ学生さんたちの力を借りて地域を活性化させたい」とご相談がありました。
私は奥多摩町の存在は知っていましたし、訪れたこともあったのですが、当時はまだ深く奥多摩町のことを理解していませんでした。
私の専門はソーシャルマーケティングで、マーケティングの技術や考え方を地域活性化や社会課題の解決に役立てる研究をしてきた実績があります。ちょうどゼミがスタートする時期でもあったため、せっかくいただいたこのご依頼をゼミの活動として活かし、奥多摩町をフィールドにして何かお手伝いができれば、と思ったのが最初のきっかけです。
2016年から「みんなでつくる奥多摩」をコンセプトに、奥多摩町の地域課題に取り組み、若者が住みたくなる仕組み作りを目指して、調査・商品開発・拠点作り・イベント企画などを進めています。
基調講演:シンポジウムや会議などのイベントにおいて、そのイベントの基本方針やテーマに関する講演
「奥多摩町活性化事業開発プロジェクト」は3つの担当に分かれて活動

ー「奥多摩町活性化事業開発プロジェクト」に関わる学生の人数や構成、活動内容について教えてください。
松本教授:ゼミ生は約50名で、2年生から4年生が在籍しています。プロジェクトは「商品開発部」「拠点運営事業部」「イベント事業部」の3つに分かれており、各部門には約15名のメンバーがいます。
商品開発部は、奥多摩町の特産品を使ったお土産や商品作りに取り組んでおり、奥多摩産材の活用や治助芋のメニュー開発を担当しています。
拠点運営事業部は、多機能型地域活性化拠点「奥多摩AUBA(あうば)」の運営を中心に活動しています。
イベント事業部は、奥多摩町の魅力を発信するイベントの企画・運営を担当しています。例えば、中小企業向けの研修旅行の企画や、奥多摩アートフェスティバル「okuten」のイベント運営、さらには住民の方たちと協力して行う地域イベントなど、多岐にわたる活動をしています。
まずは現場を知って、実際に手を動かして実践!

ー2016年から開始した「奥多摩町活性化事業開発プロジェクト」は、まず何から始められましたか。
松本教授:最初に取り組んだのは、奥多摩名産のじゃがいも「治助芋(じすけいも)」に関する課題でした。
この治助芋はアンデス原産の特徴を残したじゃがいもですが、生産者が少なく生産量が増えにくい状況にありました。奥多摩町から「治助芋を活用した特産品作りに取り組んでもらえないか」と依頼があったため、私たちもこの活動に挑戦することにしました。

ゼミ生たちと一緒に、まずは治助芋について知るために奥多摩町へ足を運び、植え付けや雑草取り、収穫作業などの一連の農作業をお手伝いしました。その後、収穫した治助芋の一部をいただき、認知度アップのために学園祭で販売するメニューを作成しました。
私たちのゼミは「事業開発」がテーマで、新しいビジネスや商品開発に取り組むことを活動の中心としています。本や論文だけでなく実際に手を動かして学ぶことを重視しているため、現地での農作業や学園祭での販売という実践的な活動は、まさに私のゼミにもぴったりだったのです。学園祭では治助芋を使ったジャーマンポテトやガレットを販売したのですが、来場者からも多くの好評を得ました。
今年からは奥多摩町の畑をお借りして、ゼミ生自らが治助芋の栽培に取り組んでいます。
いくつもの問題や課題があっても、皆んなで楽しみながら取り組めることが大切

ー町にはさまざまな問題や課題があったかと思いますが、どのように取捨選択しながら取り組まれていきましたか。
松本教授:問題や課題はしばしば互いに繋がっているため、全体の構造を捉えながら取り組まなければ、真の解決には至りません。しかし、課題解決のプロセスにおいて大切なのは、「楽しさを見出し、チームで取り組んで成果をあげること」だと私は感じています。
ゼミ生たちが考えると、自然と楽しそうなアイデアが生まれてくるものです。たとえば、奥多摩アートフェスティバルというイベントでは作家さんたちを紹介するだけでなく、その作品をレンタル自転車で巡るツアーを思いつくなど、学生たちの自由な発想が新しい息吹を吹き込みます。
このように、まずは「楽しさ」や「奥多摩町の魅力」をどのように伝えるかという視点から活動をスタートさせると、自然とさまざまな課題解決に派生していくのです。
他にも、商品開発部では奥多摩町の廃材を使ったバーベキュープレートを制作しました。これはヒノキや杉の廃材で作られた単なる木の板ですが、住民の方たちとゼミ生がバーベキューをしながら会話した中で、「余った木材をバーベキュープレートにしたら面白いのでは?」という発想から生まれたものです。
実際に、この木製プレートで肉や野菜を焼くとほんのり木の風味が付き、食材が美味しくなります。さらに、木材なので燃やしてしまえばゴミが出ず、エコにも繋がります。このように、廃材を有効活用できる点もメリットです。
住民の方たちとの交流を通じて、最初は未熟なアイデアであっても、会話の中から新たなひらめきが生まれ、最終的には面白いアイデアに発展することがあります。住民の方たちとの交流や関係が深まると、自然と皆さんも協力してくれるようになります。
こうした「人を巻き込みながら課題解決を解決していく」というプロセスを大学時代に経験することは、ゼミ生にとって今後の人生でも貴重な経験になると感じています。
奥多摩町のお土産を若者向けにリニューアル!ガチャポンで人が不在でも販売できる形に

ー「奥多摩町活性化事業開発プロジェクト」では、活動していく中で大きな転機となった取り組みがあったと聞きます。メディアにも注目されたその取り組みは何でしょうか。
松本教授:ゼミとしての転換期となったのは、2019年に開発した「奥多摩ガチャポン」です。
「奥多摩ガチャポン」は、奥多摩町のお土産をガチャポンで販売しようというものです。町には漬物やお味噌、ピクルスなど農産物を使ったお土産はあるものの、大学生にとって魅力的なものはほとんどありませんでした。そこで、若い人向けのお土産を作ることを思いついたのです。
ゼミ生たちは、奥多摩町で採れる鹿の角に着目しました。この角は自然に抜け落ちたものを活用するもので関係者から無償で提供いただき、学生自らがアクセサリーに加工して販売することにしました。
しかし、手作りのアクセサリーを販売するとなった際、どのように販売するかが懸念点となりました。なぜなら、キャンパスのある多摩市から奥多摩町までは片道3時間ほどかかるため、ゼミ生たちが直接販売するのは難しい状況だったからです。
そこで、「ガチャポンを使って販売してはどうか」というアイデアに辿り着きました。ガチャポンであれば、置いておくだけで興味を持った人が購入してくれるため、販売のハードルが下がります。
この「ガチャポンでお土産を販売する」というアイデアは各方面から注目を集め、ありがたいことにテレビや新聞にも数多く取り上げられました。メディアでの露出に加え、学内でも松本ゼミが「奥多摩町活性化事業開発プロジェクト」に取り組んでいることが広まり、学生たちの間でも奥多摩町が認知されるようになりました。
ゼミ生からは、「自分たちが現場に足を運び、考え、行動して商品作りに繋げていく。これこそが松本ゼミの特徴」と言ってくれるようになり、ゼミを立ち上げてから3年ほど経った頃、「真に実践的な活動に特化したゼミ」としての方向性が確立したと感じています。
若者の視点が奥多摩町に新しい潮流を促す

ー町にないスーパーの開店や若い移住者をターゲットにした交流ができるコミュニティスペース作りなどに取り組まれたようですが、この発案に行き着いた経緯を教えてください。
松本教授:実は、奥多摩町にはいわゆるスーパーやコンビニエンスストアがありません。住民の方たちは近隣の青梅市などへ出向いて買い物をしています。
住民にとってスーパーが無いことは多少の不便さを感じるかもしれませんが、奥多摩町には電車が通っており車で行ける距離にスーパーがあるため、一応は買い物ができます。たとえ「スーパーを設置してほしい」という要望があったとしても、現状では自分たちで何とかなってしまうため、実はそこまで切迫した問題ではないのです。
しかし、ゼミ生にとっては、スーパーやコンビニエンスストアが無いことは意外な状況です。そこで、ある年次のゼミ生が「奥多摩町にもスーパーが必要ではないか」というシンプルな課題感から、スーパーの設置を提案しました。
ゼミ生たちが調査を進める中で、住民の方たちから「生鮮食品や新鮮な野菜がなかなか手に入らない」という声が聞こえてきました。また、奥多摩町は移住者を増やそうと努力しているものの、移住者同士の交流の場や機会が不足しているという課題も浮かび上がりました。
この状況を踏まえ、ゼミ生たちは「物販ができ、かつ交流も深められるスペースがあれば良いのでは」とのアイデアを思いつきました。住民の方たちからも後押しがあり、「スーパーの設置」と「交流の拠点作り」という2つの構想を進めることにし、まずは奥多摩町長にスーパーの設置を提案しました。
この提案は師岡町長が一期目の時に行いましたが、町長も共感してくださり、町としても応援したいとのお言葉をいただきました。しかし、さらに調査を進めるうちに、ビジネスとしてスーパーを成り立たせるのが非常に難しいことがわかり、残念ながらスーパーの開店は断念せざるを得ませんでした。
その後、もう1つのアイデアである「交流ができる拠点作り」にシフトし、2024年3月25日に「奥多摩AUBA」の開設に至りました。
「奥多摩AUBA」は住民だけではなく、観光客も集える場に

ー「奥多摩AUBA」は、具体的にどのような交流スペースとして活用されていますか。
松本教授:「奥多摩AUBA」は、固定された機能を持たず、多機能型の地域活性化拠点として開設しました。状況に応じて、その時々に必要な取り組みを展開していく場にしたいと考えています。
実は、2024年3月に一旦オープンしたものの、その時点では具体的な活動内容は決まっていませんでした。そんな折、ゼミ生たちが住民の方たちと話す中で、奥多摩町には「朝にコーヒーを飲める場所がない」という声がありました。
奥多摩町では、早朝に登山に向かう人が駅で電車を待つ姿がよく見られますが、近くの店舗はまだ開いておらず、待ち時間を過ごせる場所がありません。そこで、「早朝にコーヒーが飲める場所があれば良いのでは?」というアイデアを受け、ゼミ生たちは今年のゴールデンウィークの早朝に現地調査を行いました。
駅で待つ人に「もし、朝コーヒーを飲める場所があったらどうですか?」と聞いてみたところ大変好評だったため、「朝限定のカフェを開こう」という方向性が決まり、今年の8月「朝カフェ」をオープンさせました。
「奥多摩AUBA」は奥多摩駅の目の前にあり、観光客の方が立ち寄りやすい場所です。また、地元住民の方たちも気軽に訪れることができるため、今後はカフェだけでなく、レンタルスペースやイベントなど、多機能な拠点として活用していきたいと考えています。
ー「奥多摩AUBA」の運営は誰がされているのでしょうか。
松本教授:「奥多摩AUBA」は、住民のボランティアの方たちとゼミ生が共同で運営しています。ゼミ生は平日は授業があるため奥多摩に行けないことが多く、平日は主にボランティアの方たちが運営し、週末にゼミ生が手伝う形を取っています。
これは想定外のことだったのですが、実はカフェの運営にあたり、飲食店営業許可や防火責任者、衛生管理者の資格が必要でした。私自身も保健所に連絡して、飲食店開店のための必要な資格を教えてもらい、拠点運営事業部のメンバーとともに資格を取得しました。
この経験を通じて、飲食店の経営には多くの資格が必要であることも知ることができ、大きな学びとなりました。
町の人たちとともに町の住民になったつもりで街づくり
ー奥多摩町長や住民の方たちの反応はいかがですか。
松本教授:ありがたいことに、多くの方たちから喜んでいただいています。「若い人材が常に町に関わって何かに取り組んでくれるのは、さまざまな意味で活力をもらえる」との言葉とともに応援もしていただいています。
「奥多摩AUBA」についても、町が修繕費などの予算を組んで支援してくださったり、住民の方たちがシフト制のボランティアで運営に協力してくださったりと、奥多摩町は人口が少ない小さな町ですが非常に協力的です。町でゼミのメンバーであることを伝えると、住民の方たちから温かい声もいただきます。
こうした支援を受けられる関係性が築けたのは、ゼミを始めて10年にわたる多くの交流の賜物だと思います。
もちろん、ゼミのメンバーは毎年入れ替わっていきますが、世代を超えて次の世代へと上手に継承していくことの大切さを実感しています。卒業する4年生が奥多摩町の住民の方たちに感謝の気持ちを込めたプレゼントを贈ることもあり、住民の方たちも喜んでくださっています。
私宛に「ありがとうございました」と感謝のメッセージをいただくこともとても嬉しいですが、理想を言えば、奥多摩町の方たちに「皆さんのおかげで卒業できました」と直接お礼を伝えられるような、より深い関係を築いていけたらと考えています。
成功体験こそが自信につながる

ーこのプロジェクトを通じて、学生たちの活躍や変化にはどのようなものが見て取れますか。
松本教授:1つのことを成し遂げ、それが成果となったりメディアに取り上げられ評価されたりすることで、学生たちは自信を持てるようになります。小さな成功体験を積み重ねていくうちに、彼らの顔つきが変わっていくのがよくわかります。
そうした様子を見ていると、若い人たちの成長力は無限大だと感じます。たとえ1年という短い期間でも、彼らの成長は目覚ましいものです。そんなゼミ生たちと間近で接することが、私自身の励みにもなっています。
学校をあげて奥多摩町だけではなく、近隣の西多摩エリアにも活動を広げたい
ーこのプロジェクトは一定の成果が出ていると思いますが、最終的なゴールや今後の展望について教えてください。
松本教授:町との活動には終わりがないと感じています。私のゼミが今後も関わり続けるのも1つの選択肢かもしれませんが、理想としては「奥多摩AUBA」の運営が最終的には住民の方たちの手に渡り、永続的に続く形になることが最善ではと考えます。
私たちは、あくまできっかけを作り最初の一歩を生み出してサポートする役割に徹し、住民の方たちにバトンを渡すことができれば理想的なのではないでしょうか。
また、2022年9月22日に大学と奥多摩町との間で連携協定を締結しました。この協定を通じて、私のゼミだけでなく他のゼミや教授陣にも関わっていただき、大学全体での取り組みとして広げていければと考えています。
私は今、このプロジェクト以外にも奥多摩町の計画作りに関わらせていただいています。広域連携の形で奥多摩町だけでなく、西多摩と呼ばれる青梅市以西の自治体とも連携し、地域全体の活性化を目指したいと思っています。
この西多摩エリアも奥多摩町と同様の課題を抱えており、ゼミ生たちのアイデアを取り入れることで、地域の変革を起こす起爆剤にしたいと考えています。
ー西多摩エリアにも活動の場を広げていくとのことで、プロジェクトの幅が広がっていますが、今の状況を例えるなら山の何合目まで来ていると思われますか。
松本教授:まるで「登っているうちに違う山に登り始めている」ような感じです(笑)。最初は筑波山に登っていたのに、いつの間にか富士山に登り始め、富士山を登っていると思ったら、気づけばエベレストに向かっている、といった感じですね。
登る山がどんどん大きくなっているので、まだまだ3合目や5合目にいるかもしれませんね。
学生たちへのメッセージ

ー奥多摩町活性化事業開発プロジェクトに興味がある高校生たちに、メッセージをお願いします。
松本教授:やはり大切なのは「現場に足を運び、実際に目で見て、そこで暮らす人たちと直接話をすること」です。それが物事を動かす第一歩だと思います。
一歩を踏み出すことで、状況が変わり、そこから新しい何かが始まるのです。たとえ小さな一歩でも、踏み出すこと自体に大きな意味や価値があります。
その初めの一歩を大切にしてほしいですし、勇気を持ってその一歩を踏み出してほしいと願っています。皆さんのその一歩のために私がいます。そういった思いを持つ方には、ぜひ本学の門を叩いてほしいと思います。