
歯周病の謎と健康への影響:西村英紀教授の研究から見る新たな展望
今回お話をお聞きするのは、九州大学大学院 歯学研究院の西村英紀教授です。
西村教授は、歯周病の治療や予防が全身の健康につながるという概念に基づき、糖尿病などの全身疾患と歯周病との関連性を臨床疫学的に解明する研究を進めています。
目次
西村英紀 教授の経歴
1985年に九州大学歯学部を卒業後、岡山大学大学院助教授、米国コロンビア大学留学、広島大学大学院教授を経て、
2013年4月から現職。
沈黙の病気「歯周病」の2つのタイプ
–歯周病は一般的に50〜70代くらいの年齢でかかる病気というイメージがありますが、若い世代も注意が必要なのではないかと考えています。若い世代が歯周病を予防するためにはどのような注意をするべきなのか、西村教授の見解を教えていただけますか?
歯周病には大きく分けて2つのタイプがあります。1つは45歳を過ぎたぐらいから重症化するタイプで、歯周病の大部分はこれに当たります。こちらのタイプは長い年月をかけて少しずつ進行し、最終的に重症化すると歯を抜かなければいけなくなります。
一方、20代くらいの若い頃から進行するタイプの歯周病を患う人も一部存在します。しかし、どういう人がそうなるのか、あるいはなぜそうなるのかなどはまだよく分かっていません。こちらのタイプは症例こそ少ないものの、非常に早く症状が進行する特徴があります。かかっているかどうか自分では分からないので、予防のためには定期的なチェックをするしかありません。
–どれぐらいの頻度で歯のチェックをするべきなのでしょうか?
一般的には3ヶ月に1回と言われていますが、20代ぐらいの人であれば半年に1回、最低でも年に1回でも問題ないと個人的には考えています。ただ、いったん治療を終えた人が再発防止のためにチェックする場合は、3ヶ月に1回ぐらいでもいいでしょう。
–若い人がかかるタイプの歯周病はかかりやすい人の条件や要因が分かっていないとのことですが、何か仮説や見解はあるのでしょうか?
このタイプの歯周病は、血縁関係にある家族で発症しやすいということが分かっています。つまり、何らかの遺伝的な要因が関わっている可能性が示唆されています。ですから、両親や兄弟・姉妹などが若い頃から重度の歯周病を抱えていることが分かっている場合、なおさら頻繁にチェックをすることをおすすめします。
歯周病治療の3つのステップ
–歯周病は進行の度合いによって治療法が異なるそうですが、どのような違いがあるのでしょうか?
歯周病は感染症、すなわち原因となる菌が感染して起こる病気です。初期の段階であれば感染を絶てばいいのですが、感染を絶つためには抗菌薬を長い間使い続ける必要があります。
しかし、抗菌薬を長期間使用することで口腔内の細菌の正常なバランスが崩れ、抗菌薬に耐性のある菌が増えてしまうことがある(このような現象を「菌交代現象」と呼びます。)ため、実際に菌を殺すために抗菌薬を口腔内に使用することはほとんどありません。
だから、まずは菌を機械的に除去することが重要となります。要するに歯ブラシできちんと磨くということですね。正しい歯の磨き方をマスターして自分で汚れを取ることが、歯周病の初期段階での基本的な治療というわけです。
この段階で除去できなかった汚れが長い間蓄積すると、歯石となります。歯石は表面がザラザラしているので、さらに汚れや菌の塊が付着しやすくなります。岩の割れ目の中に汚れが入っているようなイメージですね。そこまでは歯ブラシの毛が届かないため、特殊な装置で歯石を壊して取り除く必要があります。これは歯医者でしか治療ができません。
さらに症状が進むと、次は歯を支える組織が壊され、いわゆる腐った状態になってしまいます。これを放置しているとさらに広がってしまうため、歯の周囲の腐った組織を外科手術できれいに除去する必要があります。
–歯周病は感染症だとおっしゃいましたが、感染の機会を減らすことによる予防は難しいのでしょうか?やはり歯を磨くことが最も効果的なのですか?
そうですね。やはり、きちんと歯を磨くしかないと思います。歯周病菌が感染するのは歯と歯茎の境目の部分なんですが、そこは解剖学的にみると人によって形が違います。つまり、どんな磨き方やブラシのサイズが最適なのか、万人に共通する答えはありません。人それぞれ形が違うので、きちんと磨けているようで必ずしもそうではないのです。
だから、自分に合った最適な磨き方を歯医者で教えてもらい、マスターすることが大切です。また、きちんと歯を磨くためには普通の歯ブラシだけでは不十分で、歯間ブラシやフロスのような補助器具も必要となります。
歯周病と糖尿病との密接な関係
–西村教授は歯周病とさまざまな疾患との関連性を研究されています。特に、糖尿病と比較的近い関係にあるとのことですが、詳しくご説明いただけますか?
糖尿病にかかっていると、歯周病そのものが進行しやすくなります。最近では若い人でも糖尿病になる例が増えていますが、一般的には歯周病と同じく45歳を過ぎたぐらいから発症する病気です。そして、太り気味の人が糖尿病になりやすいということはよく知られていますね。これがなぜかというと、太った人は炎症を起こしやすいからです。
免疫の暴走が引き起こす負のスパイラル
まず、炎症のメカニズムについて簡単に説明しましょう。例えば歯周病菌のような感染症の原因菌が体内に入ってくる、すなわち菌に感染すると、我々の体は自分の身を守るために菌を殺そうとします。その反応が炎症です。そして、激しい炎症が起こると菌を殺すのと同時に、自分の体にダメージを与えてしまうということが分かっています。
活性酸素という言葉をご存じでしょうか?例えば、活性酸素は肌に悪いから除去するサプリメントを飲むといいというような話を聞いたことがあるかもしれません。しかし、実は活性酸素は体に菌が入ってきた時にそれを殺してくれる働きをしています。私たちの体では活性酸素もしっかり利用しているのです。
ただし、体内で活性酸素ができすぎると、血管を傷めたり体の設計図であるDNAを傷つけたりしてしまいます。また、老化の進行にも関係しています。だから、必要に応じて消去作用のあるサプリメントなどを飲んで、過剰な活性酸素を除去するわけです。
糖尿病に罹患して血糖値が高い状態だと、この活性酸素を過剰に産生してしまうことが分かっています。その結果、炎症がより激しく起こってしまうのです。同じ菌が感染しても、糖尿病でない人に比べてより多くの活性酸素を作ってしまうため、体へのダメージもより大きくなってしまう。歯周病で言えば、歯周組織をより壊してしまうということになるわけです。
これは歯周病に限ったことではありません。例えば新型コロナウイルスの感染についても、同様の理由から糖尿病や肥満の人は重症化しやすいと言われています。
感染症による症状がひどくなると、治療のためにステロイドを投与する場合があります。ステロイドは免疫機能を抑える薬です。感染症なのに免疫を抑えるのは理屈に合っていないと思うかもしれません。これは、免疫の反応を抑えることで炎症が激しく起きないようにし、体へのダメージを抑制しようという考え方によるものです。
免疫の暴走が引き起こす病気には、他にもインフルエンザが重症化して起こるインフルエンザ脳症などがあります。これは、脳内で激しい炎症が起きてサイトカインという炎症物質が過剰に産生され、かえって自分の体を傷つけてしまう「サイトカインストーム」という現象によるものです。
本来は菌を殺してくれるはずの炎症も、激しく起きると自分の体を壊してしまうというわけですね。そして、糖尿病や肥満の状態だと、特にそれが起きやすくなります。
炎症の波及がインスリン作用を阻害
さらに、歯周病で激しい炎症が起こると、その炎症が口の中に留まらずに全身に波及してしまうことが分かってきました。糖尿病の患者の場合、炎症が特に広がりやすい組織は脂肪です。脂肪組織で炎症が激しくなると、インスリンというホルモンの働きが抑えられることが分かっています。
インスリンは、血糖値を下げる唯一のホルモンです。インスリンが正常に働くことで初めて、血液中の糖分が細胞に取り込まれて血糖値が下がります。ところが、このインスリンの働きが炎症によって阻害されて血糖値が下がらなくなると、糖尿病が悪化してしまうというわけです。
糖尿病に加えて歯周病がひどい人は、その炎症が脂肪などに波及をしてインスリンの働きを抑えてしまうので、糖尿病がより悪くなる可能性があります。
–体を守るはずの防衛機能である炎症が過剰に反応してしまうことによって、糖尿病がより悪化する事態を招いてしまうということですね。
そういうことです。一方で、歯周病をきちんと治療すると炎症が消退し、糖尿病そのものも改善するということが判明しています。このような内容は診療ガイドラインにも明記されています。
再生医療への期待と課題
–現在の歯周病治療の課題と、将来的な目標についてお話しいただけますか?
現在、歯周病に限らずあらゆる病気で再生医療が非常に注目されています。iPS細胞に関する研究がノーベル賞に輝いたことは記憶に新しいですよね。歯周病は歯を支える組織が感染によって壊される病気だとご説明しました。いったん壊れた組織はなかなか元には戻らないのですが、この再生を目指す研究が盛んに進められています。
ただ、再生医療が歯周病の治療に活用されるようになってきたとはいえ、全ての歯周病に適用できる再生医療はまだないのが現状です。ですから、全ての歯周病で壊された組織を元に戻せるような治療法が開発できるかどうかが1つの課題であり、最終的な目標ですね。
若い世代も定期的な歯のチェックを
–最後に、新社会人に向けてアドバイスをお願いします。
冒頭に述べた通り、歯周病には2つのタイプがあります。一方はゆっくり進行し、45歳頃を過ぎたいわゆる生活習慣病年齢になってから顕在化するタイプ。そしてもう一方が、若くして非常に早く進行してしまうタイプの歯周病です。こちらは極めて例が少ないですが、ゼロではありません。しかも、まだ原因が不明で、どういった人がかかりやすいのかもよく分かっていません。自分が該当するかどうか、なかなか分からないということです。
また、歯の汚れが同じ程度でも、若い人に見られるタイプの歯周病の方が早く進行してしまうことが分かっています。そのため、きちんと歯を磨けていても進行を防ぐのは難しく、そのままにしておくと30代ぐらいの若さでも歯を抜かないといけなくなります。
歯周病は痛みなどの自覚症状が少ないことから「沈黙の病気」とも呼ばれます。だから、繰り返しになりますが、定期的な歯のチェックが非常に重要です。「若いから自分は関係ない」とは思わず、一度歯医者で診察を受けてみてほしいというのが、私からのアドバイスです。
▼取材にご協力いただいた西村英紀 教授の研究室HPはこちら 九州大学大学院 歯学研究院 口腔機能修復学講座 歯周病学分野