
SDGs 大学プロジェクト × Shinshu Univ. -Part 1-
目次
信州大学の紹介


信州大学は、1949年に長野県内の7つの高等教育機関を統合して設立された国立大学です。信州大学は設立以来、時代の変化に応えるべく組織改革を重ねてきました。
近年では、2013年に大学の強みや特色を活かした先端的な研究の推進や、新たな学問領域の創出を目指す先鋭領域融合研究群を設置しました。2014年には学術研究院を設置するなど、研究体制の強化に取り組んでいます。また、地域貢献にも力を入れており、2013年から、文部科学省の「地(知)の拠点整備事業(COC)」*に採択されています。
信州大学は現在、人文学部・教育学部・経法学部・理学部・医学部・工学部・農学部・繊維学部の8学部を有しています。特筆すべきは、日本で唯一の繊維学部があることです。繊維工学を中心に幅広い分野を横断した教育と研究を行っています。
信州大学は長野県内に5つのキャンパスがあります。メインキャンパスは松本市ですが、他にも長野市に2箇所と上田市、伊那市にもあります。信州大学の大きな特徴は、信州全体をキャンパスとして活用していることです。自然豊かな長野県の環境を生かし、フィールドワークや地域貢献活動を積極的に取り入れた教育に取り組んでいます。
また、1年次は信州大学の特徴である「全学共通教育」に基づき、学部の垣根を超えて松本キャンパスで共に学びながら、信州大学生としてのアイデンティティを身につけていきます。2年次以降は各学部のキャンパスに移り、幅広い教養と専門性を学んでいきます。
信州大学は、豊かな自然環境に恵まれた立地を活かしながら、地域社会や企業との連携との関わりを深めたい高校生にとって、学びだけではなくフィールドワークや地域とのふれあいを大切にしている大学です。
地(知)の拠点整備事業(COC):大学が地方公共団体や企業等と協働して、学生にとって魅力ある就職先の創出をするとともに、その地域が求める人材を養成するために必要な教育カリキュラムの改革を断行する大学の取組を支援すること。地方創生の中心となる「ひと」の地方への集積を目的とした事業。
学生時代の教授からの勧めで小布施町へ。人生の大きな転機に
-どのようなきっかけで、長野県とのご縁があったのでしょうか。
私は現在、信州大学キャリア教育・サポートセンター(以下、キャリアサポートセンター)で講師をしています。もともとは建築の歴史やまちづくりの分野を専攻しており、これらに関する研究で大学院の博士課程を修了しています。
出身は静岡県で、大学も東京理科大学でしたので、長野県には縁もゆかりもありませんでした。しかし、大学院時代の恩師に「小布施町で大学と協力し、まちづくりを研究する施設を立ち上げる予定があるので小布施町に行ってみないか」とお誘いいただき、それがきっかけで小布施町を訪れることになりました。
学生時代、私は建築に関する歴史研究の他にも、「まちをどう作るか」「建築をどう活かすか」といったテーマにも関心がありました。2011年、私が博士号を取得した年に東日本大震災が発生しました。この震災による、甚大な被害や状況を目の当たりにし、現場に貢献したいとの想いが強くなったのがこの時期です。当時の町長からの誘いもあり、大学院卒業後は長野県小布施町の役場職員として勤務することを決意しました。
小布施町役場での5年間は、大学院での研究成果を活かし、歴史的建築の保存・活用や景観形成、都市計画に携わりました。小布施町は「協働と交流のまちづくり」を旗印*と、「4つ(町民・地場企業・大学や研究機関・町外の志ある企業)の協働」と「多様な交流の創造」が進められていた町でした。
町の方々との協働や交流を深めていく中で、町を構成するものが多くあることに気づきました。町には道や水路もあれば、木々や庭園もあります。町全体で眺めてみると、森があったり山があったり、もちろん多くの「人」が暮らしています。
学生時代、建築を通じて町の変革を図ることを考えていました。しかし、町にはこのような多くのものや場所が存在し、これらの要素が繋がって活かされることによって成り立っていることに、小布施町に来て初めて気づかされました。
また、小布施町が農業の町でもあることから、食という視点も必要でした。これらすべてひっくるめて町全体をどうしていくかという課題意識が私の中に芽生えました。このような経験を通じて、小布施町役場での勤務は、現在のキャリア形成において大きな転機となったのです。
旗印:行動の目標
”ご縁”や”人との交流”を大切にして来たからこそ、今のキャリアへ

-小布施町の役場職員からキャリアサポートセンターの講師になられた経緯について教えてください。
災害が起きる度に感じるのですが、町の復旧・復興には道を整備したり、建物を建てたりすることは大切です。しかし、そこに住む人がいて、彼らが建物や場を活用することで初めて町は復興し、活性化するのだと痛感しました。
小布施町役場で勤務していたときも、人々との交流やさまざまな現場での関わりを深める中で、「町の活性化のためには、何をするにしても人材が必要である」という認識が一層強まりました。小布施町の職員として働いて行く中で、まちが活き活きとするには「人が不可欠である」と気づき、自分も育てていただいたように、「人の成長に関わりたい」との想いを強めました。そのご縁もあり、2016年から信州大学キャリアサポートセンターに在籍しています。
私が在籍しているキャリアサポートセンターは、もともと就職支援を目的とした部署です。キャリア教育を強化したいというビジョンで立ち上がったのですが、私は大学院時代に建築分野の研究者でしたので、就職支援のノウハウがあるわけではありません。
それでも、キャリア教育を推進するうえで、現場での体験や地域の状況を直接見ることが、キャリアを考える上で大切であるという想いがありました。現在取り組んでいるプロジェクトにおいても、実際に現場に足を運び、現場を自分の目で確認することを大切にしています。
こうした考えに至った背景には、私の町づくりの師匠でもあった小布施町の市村前町長の影響があります。市村さんもやはり人を大事にされる方でしたので、その影響を受けて私も町づくりに携わるようになりました。
また、信州大学は地域振興に力を入れており、産学連携の推進は大学にとっても重要な役割となります。地域と対話しながら方向性を一緒に決めていける強みが、信州大学にはあると感じています。今まで関わってきたプロジェクトは、すべて現場に足を運んで、人とのつながりや「ご縁」によって生まれ、発展してきたものです。
小布施町との出会いも、現職での仕事も、すべてはご縁があったからこそ実現したものだと感じています。与えていただいたご縁を大切にしてきた結果、今の私がいます。建築を学んできた私が、どのようにしてキャリアサポートセンターで働くことになったのか、キャリア支援だけではない多くのプロジェクトに関わっているのかについては、このような背景があります。
「信州goenプロジェクト」は遊休農地の活用と酒米不足の解消から

-信州goenプロジェクト(本文内以下、goenプロジェクト)はどのような経緯で発足したのですか。
小布施町にいた際に知り合った長野市のファイナンシャルプランナーの竹内秀一さんが、とある酒蔵さんの悩みを私に相談してきたことがきっかけです。
その酒蔵では、酒米が不足してるという話や、周辺地域で遊休農地や耕作放置地の田んぼが増えているのでなんとかしたいという相談があったそうです。このような問題を解決できる人を知っていたら紹介して欲しいと私宛に相談がありました。
当時、私自身もキャリアサポートセンターに勤務を始めたばかりであり、このような地域課題に対し、貢献できる方法を模索していました。信州大学の施設で働いている利点を生かし、学生たちと共にこの問題に取り組むことができるのではないかと考えました。そこで、学生たちを巻き込んだプロジェクトを立ち上げることを決意したのです。


-遊休農地の活用から日本酒作りに行き着いたのは、どのような理由からですか。
プロジェクトを立ち上げ、改めて酒蔵の方々からお話を伺うと、米不足や遊休農地の問題だけではなく、「日本酒の消費量が減っている」「若者のお酒離れが進んでいる」という声も聞きました。
「遊休農地や耕作放棄地の田んぼでお米を作るのが良いのでは」というアイデアは思いつくかもしれません。しかし、お米を作ったとしても、「自分たちの食用のお米を作り遊休農地が活用できた」ことだけでは、持続可能な仕組みにはなりません。これではまた遊休農地の問題が発生してしまう懸念が残ります。
持続的に活用するためには、続けるための仕組みが必要で、誰かの需要になる仕掛けが必要だと考えたときに、「何らかの価値を付加して、誰かのためになるものを作った方が持続可能ではないか」という考えに至りました。そこで思いついたのが、遊休農地の活用と酒米が不足しているという「悩み」の組み合わせで、酒米作りに取り組むことを思いつきました。さらに、学生たちを巻き込むことで、「若者のお酒離れ」や「日本酒の消費量減少」といった問題にも取り組める可能性が見えてきました。
プロジェクトのはじまりは、当時90歳のおばあちゃんが所有する遊休農地からでした。「来年は田んぼができない」というお話を聞き、その田んぼを借りて田植えから始めることにしました。現在、goenプロジェクトでは、金紋錦といった酒蔵が求める品種の酒米を育てています。このプロジェクトを通じて、遊休農地の活用という課題解決だけでなく複数の課題を掛け合わせて、地域の伝統産業支援や若者の参画、そして高品質な日本酒の生産という複合的な価値の創造に取り組んでいます。
-信州”goen”プロジェクトというネーミングは素敵なプロジェクト名ですね。どなたが命名されたのですか。
「信州”goen”プロジェクト」という名称は、私と竹内さんで命名しました。このプロジェクト名には、様々な「ご縁」が重なって発足したという想いが込められています。
プロジェクトの始まりは、「米が不足している」という情報でした。このご縁から、まずは「米のご縁」が生まれました。その後、次々と新たな「ご縁」が生まれていきました。
- 酒蔵さんとのご縁
- 学生たちとのご縁
- 農家さんとのご縁
- 土地や場所のご縁
- 収穫や酒の完成を祝う宴の縁
このように、人と人とのつながりが広がり、それが酒米作りや日本酒造りという新たな「5つの縁」を生み出しました。多くの「ご縁」が紡ぎ合わさってできたプロジェクトであることから、「goen(五縁)」という名前が最適だと考えました。醸造するお酒は、この「五縁」をラベルにしてもらっています。
伝統的な手法である手植えや手刈りで稲作に挑戦!


-どのように稲作を進めていったのですか。
goenプロジェクトでの稲作活動では、プロの農家の方々が稲の生育状況や水の管理を担ってくださいます。一方で、学生たちは田植えや草刈り、稲刈りといった人手が必要な作業を担っています(むしろ作業させてもらっています)。
現代の農業では多くの工程が機械化されていますが、このプロジェクトではあえて手作業にこだわっています。これは単に効率を追求するのではなく、長野県に暮らす学生たちが地域を深く理解し、貴重な体験の機会を得られるようにするためで、農家の皆さんには、あえてこうした機会を用意してくださっています。
このプロジェクトは信州大学の「教養科目」の授業の課外活動・PBLとして実施しており、工学部や人文学部、医学部など、1年生から4年生まで、全学部の学生が参加できます。6月上旬に行われる田植えは、大学に入学したばかりの1年生にとって、学部の垣根を越えて交流を深められる絶好の機会となっています。
田植えから始まり、草刈り、稲刈りまで、すべての作業を手作業で行っています。例えば、草刈りではデッキブラシで土を擦り、草を浮かせることで取りやすくします。こういう知恵も現場で作業するからこそ、得られるものです。また、稲刈りも機械ではなく手作業で行い、その後の絞り、風かけ、天日干しまですべて手作業で進めています。


このプロジェクトには学生たちだけでなく一般の方々も参加しており、作業後にはバーベキューなどの交流イベントも企画しています。バーベキューなどを通じて、参加者全員が里山の風景を楽しみながら交流を深められるようになっています。荒れた田んぼが、美しい里山の風景に生まれ変わる過程を目の当たりにすると、参加者は地域貢献の実感を得られ、やりがいを感じることができます。
毎年、田植えには約45名、稲刈りには約30名ほどが参加しており、楽しそうなイベントには自然と人が集まってくることがわかります。プロジェクトでは、田植えから稲刈り、そして酒蔵での仕込みを経て、最後に皆で乾杯するまでの1年間のプロセスを1つのサイクルとして取り組んでいます。
2017年に始まったgoenプロジェクトは、今年で7年目を迎えます。田植えの経験がある人もない人も、このプロジェクトを通じて新しい発見や経験ができるはずです。この活動は、農業体験にとどまらず、地域理解や世代間の交流、そして日本の伝統文化である酒造りまでを包括的に学べる貴重な機会となっています。


酒蔵も助けたい!学生たちも巻き込んで日本酒の認知度アップへ


-どのような形で酒蔵さんを後押ししているのでしょうか。
稲作をして終わるのではなく、その後の酒蔵見学や日本酒の販売にも関わることで、一過性ではなく継続して関わることにつながるのではないかと考えました。そこで、酒蔵見学や日本酒の販売に参加する仕組みを整備しました。
さらに、栽培した酒米を使用して作られる日本酒をブランド化するというアイデアも酒蔵の方々との会話の中で生まれました。お酒をブランディングすると、学生たちにとっても自分事となり、お酒自体への関心も高まります。酒蔵の方々からも、若者の酒離れ解消のためには単にお酒を飲んでもらうだけが手段ではないとのお話をいただきました。そのため、各地域にある酒蔵で見学会を開催し、日本酒の文化や製造過程を学ぶ機会を提供しています。
このように、稲作から酒造り、そしてマーケティングまでの一連のプロセスに学生たちが携わることで日本酒への理解が深まり、同時に地域の伝統産業への興味にもつながるのではと考えています。
-日本酒をブランド化とのことですが、どのようなアイデアですか。
日本酒の名前を考えるにあたり、このプロジェクトが様々な「ご縁」によって成り立っていることに着想を得ました。またせっかくであれば、5つの酒蔵と協力し、それぞれ異なるラベルカラーの日本酒を作るというアイデアが浮かびました。このような背景から、数字を取り入れた「五縁」という名前が誕生しました。
日本酒の魅力の1つは、同じ酒米を使用しても、酒蔵によって味わいが異なる点です。この特長を活かし、酒蔵ごとにラベルの色を変えて5色展開することで、それぞれの個性や違いを楽しんでいただけると考えました。
現在、2つの酒蔵に賛同いただき、2種類の「五縁」を製造しています。さらに3つの酒蔵の協力を得て、計5種類の「五縁」を完成させることを目指しています。そして、将来的には世界各地でこの日本酒を知ってもらうことを実現させるのが夢です。

-お酒離れが進んでいると言われる若者世代の学生たちに何を伝えていますか。
日本酒は、同じお米でも酒蔵によって味の仕上がりが違うので、そのあたりの面白さも学生たちに伝えています。また、自分たちが育てた酒米を使った日本酒を成人してから、親御さんと一緒に飲むのも良いのではないかと話しています。
goenプロジェクトに参加する学生たちの多くは大学1年生で、18歳や19歳です。彼らはまだ法的に飲酒できる年齢ではありませんが、日本酒造りには1年以上の時間がかかります。そこで、自分たちが育てた酒米で作られた美味しい日本酒を、20歳の誕生日に初めて味わうということも日本酒離れの課題解決につながるとようなと思っています。
このように、学生たちが育てた酒米で作られた「五縁」が、彼らの人生で初めて口にするお酒になることを願っています。この体験を通じて、日本酒への愛着が深まり、日本の伝統文化への理解が促進されることを期待しています。
遊休農地の解消のため、広がりを見せる信州goenプロジェクト
-最初は戸隠の遊休農地から始まったプロジェクトですが、他の地域でも展開しているのでしょうか。
安曇野市の北側に位置する麻績村(おみむら)も、遊休農地の増加に悩んでいるとのお話がありました。この地域は米農家が多く、組合を作って田んぼの維持に努めていましたが、「作り手やお米の買い手があれば継続できるが、現状では難しい」というお話でした。農家の方々は、酒米栽培を問題解決の1つの方法として考えていましたが、酒蔵とのつながりがなく、販路の確保ができなかったため、実現には至っていませんでした。
一方で、私たちは酒蔵の方々が酒米不足で困っているという情報を得ていました。そこで、困っている酒蔵を仲介し、農家の方々と酒蔵の方々の橋渡しをすることにしました。こうした経緯により、酒米作りは麻績村でも始めることになったのです。
-まさに、ここでもご縁でつながったのですね。このようなご縁を通じて感じたことは何でしょうか。
私は、大学は地域の拠点として、さまざまな研究やプロジェクトを通して、何かと何かをつなぐ役割があると思っています。
例えば、「お酒について研究したい」「景観づくりに貢献したい」「水に関する課題に取り組みたい」といったように、人々の興味や目標はさまざまです。しかし、まちづくりは個人の力だけで成し遂げるのは難しく、1つのプロジェクトだけで町全体が変わるわけでもありません。
異なる目標を持つ人たちが集まることで、相乗効果が生まれる可能性が高まります。大学はその「繋ぐ」役割を担い、現場に出て活動を行いながら、得たノウハウを活かすことで、さまざまな取り組みを通じて「新たなつながり」を生み出せると思っています。
今の結果はまったく予想してはいなかったのですが、何かと何かがつながり、新たな成果が生まれることを期待しながら、これからも活動を続けていきたいと思っています。
現場に足を運び、体験するからこそわかることがある
-goenプロジェクトは校内での学びだけでなく課外での実習もありますが、実際に課外実習ではどのような学びが得られますか。
大学のミッションの1つとして地域定着を促すことがありましたが、地方創生が注目された際に「地域定着のためには、まず地域に出向き、現場を知ることから始めるべきだ」と言われていました。
机上の学びだけで地域の魅力を伝えても、美しい景色や美味しい食べ物、みんなで過ごした楽しい時間は十分に伝わりません。やはり、一度現場に出て地域を体験することで、感じ方も変わるのではないかと思います。
実際に地域に飛び込み、活動してみるからこそ、課題や問題が見えてくるものです。そして、その解決に向けて周りの人に相談し、共に解決していくプロセスが重要です。自分の足で地域を訪れ、体験するからこそ、学びが深まると感じています。


-実際に稲を栽培してみて苦労した点はありますか。
いろいろな経験を通じて、私自身も多くを学びました。稲作は種から育てるため、気候の影響を大きく受けます。プロの農家の方々であっても、通常は農協から種を購入しますが、ある年には天候不良や減反*の影響で種が手に入らない時期がありました。
また、コロナが蔓延した年には日本酒の消費量が減少したため、その影響で翌年の稲の生産量も減少しました。その結果、稲が不足したり、天候不良で水不足になったりする事態も発生しました。さらに、冷害で稲が育たなかったり、政府による生産調整が行われたりと、稲作は多くの要因に左右されます。こうした情報は、稲作に直接携わらなければ分からないことばかりで、農家の方々の苦労も深く理解できるようになりました。
台風などで稲が倒れると、機械での稲刈りができなくなり、すべて手作業で行わなければなりません。稲作にはさまざまな苦労が伴います。稲の生産量が少ないと、私たちが食べる米も減りますし、酒米の不足は酒蔵の商売にも大きな影響を与えます。こうした、仕事の根幹を知ることができる機会にもなっていると思います。
学生たちにとっても、こうした現実は教科書では学ぶことができず、稲作に関わって初めて知ることができるのです。今では、店頭にお米が並んでいるのが当たり前で、手軽に購入できますが、その背景には多くの苦労があります。それを理解するためには、実際に現場に出ることが必要です。私自身も学生たちと一緒に、課題や問題を乗り越える姿を見せたり、仕事の価値を伝えたりしながら、学びを深めています。
つい先日、酒蔵の方々から「もう少し酒米が増えないとお酒が仕込めない」とのお話があり、もっと生産量を増やさなければと感じました。こうした「嬉しい悩み」があるのも、やりがいの1つかもしれません。
減反:米の過剰生産を抑え、米価を維持するために国が米の生産量を調整する制度
-このgoenプロジェクトに参加した学生たちの反応はどうでしたか。
田植えや稲刈りのイベントでは、毎回ご厚意でお弁当をしていただいています。このお弁当に使われているお米は、もちろん地元で採れたブランド米ですが、その味はやはり格別です。稲作に関わったからかもしれませんが、稲作の背景を知っていると、お米に対する見方が変わり、味わいも一層深く感じられるのだと思います。
さらに嬉しいことに、卒業生から「今年の田植えはいつですか?」や「稲刈りに参加してもいいですか?」といった問い合わせを毎年いただいております。1年生だけでなく卒業生も参加してくださるため、長い間にわたって良い縁が続いている状況です。今後は、日本酒を1つの核として、地域と人をさらに深くつなげる仕組みを考えていきたいと思っています。
”goen(ご縁)”の輪をさらに広げていきたい

-今後の展望についてお聞かせください。
このプロジェクトに参加された方々にとって、日本酒作りを通じて日本酒への興味や理解が深まるだけでなく、さまざまなご縁が今後の人生に役立つのではないかと思っています。この「goenプロジェクト」は、当初は戸隠で生まれたご縁から始まりましたが、現在では麻績村や木曽にも広がりを見せています。
プロジェクトの発足当初には想像もできなかった展開や、興味深いアイデアが次々と生まれてきました。また、酒蔵の方々とお話をしていると、水のこと、土地のこと、山林と産業がつながっていること、被災地の相互の支援など、興味深い話が聞けるので、現在は授業の一コマとして必ず話していただくようにしていますが、ゆくゆくはgoenプロジェクトでやっている一連の学びを酒蔵の方々と協働したPBL(Project Based Learning)型の授業にできないかと構想しています。
学生たちへのメッセージ

-信州大学の信州goenプロジェクトに興味がある高校生たちにメッセージをお願いします。
地域に何かを提案したり、地域に関わりたいという想いから、アイデアを出してくれる高校生はたくさんいます。しかし、どんなアイデアも実際にやってみないとどう展開するかはわからないものです。
私自身も今でこそプロジェクトが形になり、さまざまな構想をスムーズに話せるようになりましたが、構想が定まってきたのはごく最近のことです。やりたいと思ったらまず始めてみて、進め方はやりながら考えても良いのではないかと思っています。
皆さんが挑戦したいことや解決したい課題があるなら、ぜひ初めの一歩を踏み出し、周囲の人々と意見を交わしながら進めていくことをお勧めします。そうすることで、新たな可能性が開けるかもしれません。
皆さんの未来が充実したものであることを願っています。