真に持続可能性を実現するためのアプローチ:丸山康司教授の見解

「目的は別でも、やっていることは環境保全的に機能している」が理想的な形

―先生は環境保全におけるフェアな関係性の確立や、社会の営みと環境保全の両立について研究されているそうですが、中でも主に「合意形成」に関心が移られたきっかけなどはあるのでしょうか。

はい。そもそも研究をはじめた背景としては、1980年代に「環境問題」という言葉が流行り、社会一般の注目を集め始めたことが始まりです。当時の風潮として「環境に優しい」と言われているものが、本当に優しいかどうかについては疑問を持っていて。一方で、自然は大切なものであると同時に人間に対して脅威でもある中で、いい部分だけを切り取って人間が「自然を大切にしよう」と語ることには違和感を覚えていました。
その中で、「意図していない環境保全」というものが世の中にはたくさんあることに気が付いたのがきっかけです。

―というと?

やっていることは環境保全的だけど、環境保全そのものは別に意図していないということです。例えば、「伝統的な農業のやり方や資源の利用の仕方は生態系のメカニズムと調和していて素晴らしい」と言われることがありますが、当事者たちは別に環境保全のために頑張っているわけではない。別の目的があるからです。東南アジアなどでは、米の収穫の際に根からではなく穂だけを刈り取りますが、それは単に収穫がラクだから。しかし、結果的に残った根が土壌流出を防ぐことになり、環境保全に繋がります。
このように、環境保全を意図しているかどうかは実はそれほど重要なことではありません。やっていることが環境保全的であるかどうかが重要なのです。

むしろ「環境を良くしよう」という動機付けは、短期的には効果的でも長期的には続きません。持続可能性としては、現状と目標のギャップが大きいうちは「今のままじゃダメだ」という危機感が動機付けとなりますが、目標に近づくほどその効果が下がっていきます。
だからこそ「意図していないあるいは別の目的がある」ということが、環境保全的に最終的に目指すところだと考えています。

―なるほど。副次的な環境保全の方が、持続性があると。

そういう発想に立つと、持続可能性の間口を広げることにもなります。例えば省エネ。「光熱費の節約になるから」という理由で始める人や、ヒートショックの防止のために家の断熱を行う人もいるでしょう。このように費用面や健康面がきっかけだったとしても、結果的には省エネとなり環境保全に繋がります。
色々な動機付けがある方が、環境問題を入口にするよりもむしろ効果がある・やりたがる人が増えるということですね。
また、私が環境という切り口をあまり重視していない理由はもうひとつあります。

―もうひとつの理由とは?

事実として、環境問題を動機付けとした環境保全はあまり広がっていないからです。
環境というものを前面に押し出して人々の行動を変えようというアプローチは、1980年代から既に何十年もやってきています。もちろん物の見方として環境は大切ですが、結果として、どのくらい普及しているかということですよね。

例えば近年はまた有機農法を増やそうという流れがありますけど、有機農法という言葉が生み出されて一般的に普及し始めたのは1970年代。それから50年経って、有機農法で作っている圃場は1%なんです。その1%ももちろん大切ですが、別のアプローチにも注目するべきです。普通の農家さんに合理的かつ経済的な方法を取ってもらうことでも、農薬や肥料は減らせますから。

そういう意味では、1%の有機農家を10倍に増やすことと、99%の農家さんの農薬使用量を10%減らすことは、環境への影響という観点からは同じ意味となります。だからこそ後者へのアプローチも私は大切だと考えています。

「受け入れられやすさ」の重要性

―では、持続可能性の普及にはどのようなポイントがあるのでしょうか。主に再生可能エネルギーについて教えてください。

はい。私は再生可能エネルギーの場面では、「社会的受容」、要するに「受け入れやすさ」という考え方をよく用います。
一般的にエネルギー分野で言われている「受け入れやすさ」には条件があります。一言でいうとコストや負担と、便益とのバランスが適正かどうか。特定の人だけが損をして特定の人だけが得をするような状況では、いくら環境のためと言っても普及するわけがありません。

―誰かが一方的に得をし、損をするという仕組みがあると賛同されなくなると。

そうですね。また、短い時間で見た時の損得と長い時間で見た時の損得という、「時間」の話が入ってくる点も環境問題の難しいところでもあります。
環境の問題はメカニズムが大きいので、変化に時間がかかります。グラフで見ると大きな変化があるように見えますが、これは100年200年というスケールで見た時の変化なんですよね。個人が体感できないような時間の幅で起こっているからこそ、自分事として捉えられない。「今頑張らないと将来損をする」という損得が自分の人生の中で完結するなら頑張れますが、スケールが大きくなって「今頑張らないと見知らぬ誰かが困る」となると途端に想像しにくくなります。
だからこそ、将来的な環境のことはもちろん考えなくてはいけませんが、それだけではなくいかに今の人の感覚で損得を捉えられるか、話を組み替えていくことが大切だと思います。

―将来の見知らぬ誰かではなく、今生きている自分たちのために動いた方がいい。そういうストーリーじゃないと納得や共感は得にくいと。

はい。また、意思決定のプロセスに透明性や納得感があるかどうかも大切です。いくら行政が決定してマスコミが宣伝しても、その論点に納得できないところがあれば受け入れにくくなる。特に発電所の立地などについてはすごく顕著ですね。
そもそも誰かが勝手にやっているのを見ている分にはいいですが、自分がやるとなると難易度が跳ね上がるわけです。だからこそ、損得や納得感の問題はしっかりと捉えないといけません。自分が当事者となった場合、損得というものはやはり重要ですから。

―なるほど。SDGsやエコなど環境問題に関する言葉の認知度は90%程度あるものの、未だ問題解決に至っていない理由としては「自分に置き換えられていない」「納得や理解が追い付いていない」という問題があるからですね。

その通りだと思います。これは消費者だけでなく、企業にとっても同じことが言えます。
SDGsという言葉をキャッチフレーズとして使っている企業もありますが、本来持続性というものは極めて経済的な話でもありますから。

物づくりのメーカーなどは、企業活動をするために物・エネルギー・人を使っていくわけですが、持続的にやっていくにはやはり人の道に外れるようなことはできません。物が調達できない、人材が集まらないという問題を避けるためにも、環境への配慮は必要になります。それは単に再エネの電気を買うとか植樹するとかの表面的な話ではありません。企業活動が長期的に持続できるかどうか自分事として考えよう、ということがSDGsの思想的背景のひとつでもあります。

エネルギーの現場での利害関係とは

―特にエネルギーの現場には様々な損得や利害関係があると思います。それを読み解くためのアプローチを教えてください。

はい。まずはやっぱり、現場の人にしっかりと話を聞くということです。
先ほど損得の話をしましたが、損得はお金だけの話ではありません。ある人にとっては生き物に影響があるかどうかが損得という場合もあるし、自分の子供にどう影響があるか、地域がどうなるかなど、様々なケースがあります。その地域の人がどういう出来事に対してどういう関心を持ちどう自らの損得を考えるかということは、基本的には話を聞いて行動を見て推測するしかないですね。お金にしても、どのくらいの人がお金に関心があるかは現場によって違ってきますから。個別の状況に応じて確かめていきます。
その上で、損得や利害関係は変えることができますし、事業者側の行動によって人々の態度が変わることもあり得ます。

―例えばどういうケースですか?

再生可能エネルギーの現場では、自然保護に関心がある人から反対を受けることが多いんですよ。再生可能エネルギーや脱炭素は、気候変動の防止など自然保護を実現する上でも大切なのですが、一見すると設備を建てるために木を切ったりするので自然が損なわれているように見えるためです。
私が日本の再エネ事業の取り組みで不足していると思うのは、「その場所での自然環境の保全にどう貢献できるか」という視点です。上記の例で言うと、将来的なリスクは減らしていても目の前では何もいいことが起こっていない。だからわかりにくいんです。
そこで、例えば鳥の保護や増殖など目に見える事業も行うと。実際に鳥の人工繁殖の事業を平行して行う事業者もありますし、太陽光発電の一部のエリアを自然の湿地に近い形で整備する事業者もあります。そうすると自然環境に関心がある人にとって「得」になりますから、合意を得られることがあります。

その他にも、太陽光パネルを設置することで農山村の獣害問題を解決したケースや、資金調達をクラウドファンディングのように様々な人から受け入れることでリターンを得られるというケースもあります。また、その地域の再エネ事業の収益の一部を還元し、島の子供たちの遠征費を援助する、地域の特産品を開発する、といった取り組みも。直接的な利益じゃなくてもいいんですよ。「いい取り組みだな」と思ってもらえれば、地域にとって「いい事業」だと思われて理解してもらいやすくなりますから。
こうやって人々の問題関心に応じて利害の構造を変えることで、結果的に合意しやすくなる、受け入れてもらいやすくなる、ということは実際にあります。

―なるほど、社会全体の協力や関与を促すためには、利益を受けられる人を増やしていくことが大切だと。

そうですね。もちろん一般論として環境が大切であり、このままでは現状維持すらできなくなるというのは変わりませんが。それに加えて物事を変えることで得をする人を増やすことは、手段として大切です。私はこれを「損得に翻訳する」と言っていますが、地球温暖化のような大きな話しへの「ご理解」ではなく損得で動くようにしていく工夫も必要だと思います。

将来的な観点での環境保全と、目に見える形での損得。両軸でやっていくことが重要です。

人々の一般的な問題関心にこちらから寄せていく

―私としては、政策や教育なども環境保全への副次的な要素かと思っていました。もっと身近なものに置き換える方が効果的なんですね。

そうですね。むしろ一般的に考えられているアプローチの逆です。環境問題について理解してもらうのではなく、こちらが人々の通常の問題関心に寄せるという。
あまり政策や教育を押しすぎると説教臭くなりますから。説教臭くなったり、あるいは危機感を煽るような形になったりすると、持続的な行動には結びつきにくくなります。そういう意味では、一見遠回りに思われますが、身近で内発的な動機に寄せることが持続可能性への近道だと思っています。

―なるほど。では今、社会の在り方を構想する時に考慮するべき点があれば教えて下さい。

危機感というものは持続的な感情ではないので、それに乗せて問題解決をするということは持続可能性として現実的ではありません。ただ、ある意味チャンスではあると思います。今回お話したような方法で同時多発的にスピードアップして物事を変える。人々の生活の豊かさと両立させながら、長期的な問題を解決できるチャンスではないでしょうか。
将来的な危機を回避するために身近な感情で動くような取り組みを増やしていくことが、今やるべきことだと思っています。

―身近な問題に置き換えて着実な一歩を、ということですね。それ以外には再生可能エネルギーの普及に向けてどういった活動が必要か、最後にお考えをお聞かせ下さい。

そうですね。科学的な事実に基づいた議論をすることも重要です。そういった知識は世界的に大変なスピードで日々アップデートされていますが、そこはきちんと踏まえておく必要があります。
例えば日本では未だに温暖化懐疑論が一定の支持を得ています。そう思いたくなる気持ちは理解できますが、しかしそこに答えはない。それはしっかりと共通認識にしておかなくてはいけませんし、そのためにも科学的議論はすごく大切です。

そもそもなぜ人が温暖化懐疑論などに魅力を感じるかというと、「脅されているような感じに対する違和感」「自分にはわからない数式やデータで無理矢理納得させられていることへの反発心」などがあるのではないでしょうか。そういった感情に配慮し、日常的な感覚でも理解できるような形で問題解決への道筋を示す必要があります。

科学的な根拠を皆が科学者と同じように理解する必要はありませんが、身近な問題に翻訳していくことが私たちの課題です。

▼取材にご協力いただいた丸山 康司 教授のHPはこちら
丸山康司 研究室