インドネシアでの経済権力の動態:小西鉄 准教授が語る

小西鉄 准教授の自己紹介

私の専門はインドネシアの地域研究、特に経済や政治経済の分野で研究をしています。

これまでの研究内容としては、ビジネス・ファミリーの経済権力、金融監督の実効性、泥炭地をめぐる政治経済、そして現在関心を持っているのはコロナ禍での国家資本主義の展開または変質、および女性ビジネスリーダーの台頭です。こうして改めて自分の関心を振り返ってみますと、インドネシアのビジネス・経済と国家の関係に関心を持っているように思います。

地域研究という分野は、現地でのフィールドワークを通して情報やデータを収集します。私の場合は政治家、ビジネスパーソン、行政の方々にインタビューをしたり、数的データを収集したりして研究をしています。

インドネシア研究を始めたきっかけ

実は、インドネシアに関わりを持ち始めたのは、博士課程に入ってからでした。それまでは、地理学や公共政策といった分野を勉強していました。

インドネシアに興味を持ったきっかけは、大学入学直後の2001年に起きた9.11米国同時多発テロ事件でした。イスラーム原理主義組織アルカイダが、超大国アメリカに対して飛行機をハイジャックしてニューヨークのツインタワーに突っ込んだ報道が衝撃的でした。

それ以降、国際関係論に関心を抱くようになり、イスラーム教や途上国についても知りたいと考えるようになりました。その時に、白石隆先生の『スカルノとスハルト』という本を手に取り、インドネシアの政治や経済に興味を持ち始めました。

当時は全くインドネシアと関わりを持っていなかったのですが、心の中でずっとインドネシアが引っかかっており、インドネシアについて研究したいという思いが沸々と湧き上がってきた時に、直接私の指導教官(岡本正明教授)に「インドネシアの研究をしたいです」と伝えたところ、幸運にもインドネシア研究の仲間入りをさせていただけることになりました。

インドネシアのビジネスグループの成長の歩み

この章では、インドネシアのビジネスグループの発展過程を詳しく解説していきます。

植民地支配下のビジネス抑圧

現代のインドネシアのビジネスグループのほとんどは大規模なものですが、その発展の歴史は古く、独立以前まで遡ります。

インドネシア共和国が独立したのは1945年8月ですが、それ以前の300年間はオランダの植民地で、福建省など中国南部から渡来した華人系の人々が交易や商業を営んでいました。彼らはビジネスの才に長けており、オランダ植民地政庁とのコネクションを通じてビジネスを確立してきました。華人系以外にも、インドネシア西部のスマトラ島では、土着系の商人たちが交易を行っていたという事実があります。

1940年代には日本軍が進軍してインドネシアを支配しました。日本軍政は現地経済を抑圧したためにインドネシア経済は壊滅的な状態となりました。しかし、一部の華人系や土着系のビジネスは、日本軍憲兵隊との個人的なコネクションを通して融資や許認可を得ることで、ビジネスを維持・拡大しました。

私の研究対象としていたバクリグループもそうしたグループの一つで、そのような企業は少数派ですが、多数のインドネシア企業は抑圧された歴史を持っていました。1945年8月に日本が敗戦し、その後インドネシアは独立を果たしました。しかし、その後も旧宗主国オランダの再侵攻に対して、インドネシアは戦争と外交交渉により独立を勝ち取りました。

経済の「民族化」が残した禍根

インドネシアの独立後、経済の土着化、あるいは「民族化」という課題が浮上しました。先述したように、植民地支配下、華人系が長らく経済を支配してきた側面があり、政府は土着系のビジネスとの均等な分配を図るべきだと考えていました。そのため、国家主導での経済の「民族化」を進める政策が次々に打ち出されました。

まず中央銀行による国内金融の支配権を確立し、オランダ系企業や日系企業を接収し、重要産業部門で国有企業を設立することが試みられました。また、多くが中小規模で営んでいる土着系企業を保護するために、国有銀行が輸入に関連する低利融資や輸入許可証の交付を行いました。この政策は土着系を保護する狙いがあり、「ベンテン」政策(インドネシア語で「要塞」の意)という名称が付けられました。

しかし、この政策で取得した許可証を華人系企業に転売する「虚業家」や、土着系を前面に押し出しながら実際には華人資本が支配する、「アリ・ババ(ali₋baba)」企業などの出現が相次ぎ、その結果、「民族化」は失敗に終わりました。

その後も、土着系からの政府に対する不満や華人系に対する嫉妬が長く続いており、歴史的にインドネシアのビジネスや政治において禍根を残しています。

ビジネスグループの盛衰: 80年代の金融自由化と98年アジア経済危機

1965年にクーデターが起き、スハルトがその鎮圧に成功し、1966年から1998年までの30年間という長期にわたり権威主義的政権を維持しました。この政権下では、華人系企業が依然として経済的影響力を持ち、プリブミ系との格差は広がっていきました。

1980年代になると、金融自由化(83年〜90年代初め)が進められました。現在の多くのビジネスグループは、その当時に創業または拡大したものです。代表的な例はバクリグループや華人のリエム・シュウ・リョン率いるサリムグループです。金融自由化の下で金融機関を設置し、グループ全体のビジネスに資金を提供することが可能となりました。こうした成長が、民間ビジネスグループの発展の最大の要因となりました。

ただし、先に述べた華人系に対するプリブミ系の人々の感情は根強く存在しました。サリムグループ以外にも、さまざまな華人系ビジネスグループが、スハルトとの個人的な関係を通して国有銀行からの低利融資などの保護を受けて急成長しました。スハルトは華人系グループを政治資金の提供者として扱い、彼らの成長を支援したのです。

1997年に、タイやインドネシアから資本が大量に流出するというアジア通貨危機が発生しました。資本の大量流出という局面で、金融自由化により拡大した金融部門がこの危機で大きな打撃を受け、そこから資金を得ていたビジネスグループは資金調達が難しくなりました。多くの企業や金融機関が影響を受け、淘汰されていったのです。この経済危機のあと、金融支援を行った国際金融機関の要請に応じて、インドネシアでは経済改革が行われました。

2000年代の資源ブームと2008年世界金融危機

2004年以降、経済的に台頭してきた中国やインドからの資源需要が国際的に高まります。

特に石炭、パームオイルなどを産出するインドネシアはその恩恵を享受しました。こうした資源ビジネス、に華人系のビジネスグループや経済危機を生き抜いた企業たちが積極的に参入していき、経済をけん引しました。証券市場での取引シェアも資源部門が2-4割を占めていました。

2008年の世界金融危機では欧米先進国が大きな打撃を蒙りましたが、インドネシアなどのアジアの新興国はアジア経済危機を経験したことを教訓として、外貨準備の積み増しなどの対策を講じていたため、影響は軽微でした。

その後、中国や欧州の景気が悪化したことで、資源ブームは一時的に収束しました。証券市場の取引シェアの主要な部分も、金融部門が取って代わる展開が見られるようになりました。

インフラ部門の開発とコロナ禍の影響

現在はデジタル化への対応も進められており、ビジネスグループにおいてもこの分野は成長が見られます。しかし、資源部門がインドネシア経済において依然として重要な位置を占める中、その加工や流通のためのインフラ整備が先行して重要な課題となっています。

それに関連して、中国・習近平政権は、「一帯一路」という投資戦略を打ち出しました。中国が経済発展するうえで必要な資源開発のための世界規模での対外戦略です。この「一帯一路」戦略の影響を受けて、インドネシアのインフラ部門を中心に中国資本が集まっています。そのため、国有企業のインフラ部門が顕著な拡大を遂げており、民間企業も同様に拡大しています。

その矢先に、新型コロナウイルスがインドネシアにも蔓延し、多くの人が被害を受け、経済にも大打撃となりました。人の移動の制限やサプライチェーンの停滞により、観光や自動車産業など、幅広く制約を受けました。2022年に移動制限が解除され、堅調な成長を維持しています。

2023年現在、首都移転が進められています。2045年までに、現在の首都ジャカルタからカリマンタン島中部に新首都「ヌサンタラ」を建設する計画です。そのための多額の資金は中国からの融資・投資であり、国有企業を中心に大手民間ビジネスグループも積極的に参入している状況です。

危機や改革のなかで既得権益の維持・拡大される要因

一般に、危機や改革は、社会構造に圧力をかけ、特に既得権益にリスクをさらします。インドネシアのアジア経済危機とその後の改革は、まさにそうしたことが起きたのです。

ここで、既得権益を「既存の法的制度の下で、習慣に基づいて政治権力や経済権力を維持する構造」と位置づけたうえで、特に経済権力を中心に考えていきましょう。経済権力を「経済組織内部のアクターのリソース」と定義すると、経済権力をめぐる動向は、社会的な構造に大きな影響を及ぼす要因の一つであり、その力が経済発展や政治的な意思決定にも影響を与えていると考えられます。

では、企業構造に大きな圧力をもたらす危機や改革の中で、ビジネスグループ内部の既存勢力が経済権力を維持・拡大できる要因は何か。アジア経済危機後のインドネシアの政財界に大きな影響力を誇った、土着系のバクリファミリーを事例に見ていきます。

バクリグループの創業者アフマド・バクリ氏は、グループ事業を3つのピラミッド構造に分割して3人の息子たちに相続させました。そのうちの長男がアブリザル・バクリ氏です。実際にはアブリザル氏は政治家であり、一時は大統領候補にもなるなど、政界に強い影響力を持っていましたが、ビジネスには直接関与していないとされています。ただ、実際には彼がビジネスにも相当な影響力を持っているのではないかと私は考えています。

企業内部における経済権力の運用については、次男のニルワン・バクリ氏が主に担当しています。彼は様々な金融取引を通じて国際金融との交渉を巧みに行い、所有権と経営権を確保してきたと言われています。

もちろん、兄アブリザル氏の政治的な影響力も企業内部の経済権力の確保に一役買っている面もあります。例えば、石炭ビジネスを確保するために政府の許認可を得たり、財務の拡大に寄与してきたりしますが、基本的にはニルワン氏が巧妙な財務戦略を展開し、企業グループ内部の経済権力を担っていると考えています。彼はファイナンスの天才と称され、企業内部におけるファミリーの経済権力の運用に大きな役割を果たしていると言えます。

経済権力が政界やビジネス界に与える影響とは

前述のようにして獲得した経済権力は、当然私的利益のために用いられます。
経済団体内部、市場、および政界の各局面での動態を見ていきます。

経済団体:人事とビジネス・ネットワーク

経済団体での経済権力は、アブリザル氏の政治的影響力が極めて大きく働きました。
彼は90年代から日経団連に相当するインドネシア商工会議所(通称KADIN)の指導者として活躍し、94年から2004年までの10年間、そのトップの座にありました。

アブリザル氏は商工会議所のトップの職位である会頭として、絶大な影響力を誇ってきました。彼の人事のスキルや性格も影響しているのかもしれませんが、ビジネスパートナーに対して支援を行うことで味方をつけることに巧みでした。

その結果、この経済団体内でのバクリファミリーの影響力や経済権力は非常に強力なものとなりました。

第一線を退いたアブリザル氏の後任の会頭たちの多くも彼の指導の下にあり、経済界ではアブリザルの影響力は依然として強いといえます。ちなみに、アブリザル氏の息子であるアニンジャ氏もKADIN内での影響力を持っており、その他の政治団体や経済団体にも所属しています。

市場:取引規模による圧力

インドネシアの証券市場でも、バクリファミリーは、2007年から2009年の間に非常に強い経済権力を握っていました。この期間は前述した中国の台頭に起因する世界的な資源ブームの時期であり、バクリグループの所有する鉱物資源企業であるブミ・リソーシズ社が優良な鉱山資源を保有していたことから、多くの内外の企業や金融機関が同社の株式を大量購入し、株式流通量も増加しました。その規模は、インドネシアの証券市場での取引全体に大きな影響を持つほどでした。

しかし、2008年の世界金融危機が起きると、外資系金融機関が同社株式を大量売却し、証券取引所での取引が自動停止となったのです。この大量売却の影響で、バクリグループ系の他の上場企業の株式も連動して売却され、バクリグループは大きな打撃を受けました。

その後、市場が落ち着き、証券取引所の取引が順次再開されていきます。ところが、アブリザルは大統領に直訴して(株価が下落することが当然視されていたため)再開を阻止しましたが、すぐさまリベラル派経済学者出身のスリ・ムリヤニ財務相が再開させました。当然、バクリグループの株式は下落し続けました。

また、バクリ系の複数の企業の財務報告書に遅延や虚偽記載があったため、金融当局が制裁を発動した際、ニルワン氏は当局に自社の証券取引を止めることを材料に圧力をかけることで自らを防衛しようとしました。当時のバクリ系株式の時価総額は、証券市場全体の最大4割を締めていたため、これらの出来事から、政治的な駆け引きにより、経済権力を確立してきたことがわかります。

経済団体は政治的な影響力も持ち、経済権力を巧妙に活用しています。これらの動向を見ると、ニルワン氏は手腕を発揮して経済権力を確立してきたと言えるでしょう。

政界:大統領候補への選挙支援と党内地方への資金配分

2006年にバクリ系エネルギー企業が、ジャワ中部の地方都市シドアルジョ近郊で石炭採掘を行った際に、熱泥流が噴出し、村を1つ飲み込んだ事件が発生しました。人為的ミスだとの強い批判が出た一方で、企業側は掘削に伴う事故と主張するなど、議論となりました。

さらに悪いことに、企業は賠償責任を負うはずのところ、アブリザルが大統領との私的なつながりをテコに国家賠償でその賠償責任を逃れたとされ、これも批判を受けました。

それにも関わらず、アプリザルはビジネス界や政界での影響力を広げていきました。というのも、2004年の大統領選挙で、有力候補の一人であったユドヨノ候補の選挙資金を提供していたためです。

この資金提供が、後のユドヨノ政権に対する影響力行使の1つの要因となりました。当時アブリザルは連立与党ゴルカル党に所属しており、同党内で絶大な権力を持っていました。2011年に同党党首にも選出されました。多くの批判を受けながらも、なお指導的な立場にあり、党の大統領候補として出馬することもありました。

改革の経済権力への影響

この章では、改革が経済権力に与える影響を探求します。

独立監査役の設置

アジア経済危機後、世界銀行の主導により企業ガバナンス改革として、独立監査役の設置が行われ、上場企業にその義務が課されました。しかし、インドネシアの各ビジネスグループは重い債務を抱え、政治ネットワークを活用してシェアを維持しようとしました。

実際に、各グループの企業の独立監査役は実質的には独立しておらず、例えばバクリグループの独立監査役はアブリザルのビジネスネットワークから引き抜かれた人々で構成されていました。インドネシアのビジネスワールドは狭い世界ですから、第三者の立場に立つ人材が限られているという背景があると考えられます。

また、インドネシアの人々の性格も影響しています。自分に関わる人はもはや自分の家族や友人であり、家族や友人であればお互いに助け合おうとする習慣が、広く一般に普及しています。学術的根拠は乏しいのですが、インドネシアと関われば、どなたもこうした習慣を感じ取ることができると思います。

そうした観点から、当該企業にかかわっていく中で、次第に独立性は担保されなくなってしまうとも考えられます。

最後に

東南アジアは日本とは異なる文化や言語が存在し、英語が通じる場面もあれば通じない場面も多々あります。現地の文化に慣れるために、現地の言葉を学ぶことで、現地での生活やビジネスにより適応できるでしょう。

一つのアドバイスとして、現地の人々の生活を重視して考えることが大切です。日本のビジネスのことだけではなく、現地社会とのWin-Winの関係を築くことを心掛けるとよいように思います。また、東南アジアで社会人として活動される方々には、現地の習慣や言葉を身に着け、現地の方々と深く交流することを強くお勧めします。

そうすることで、日本とは異なる新たな世界が広がってくるでしょう。ぜひ現地に馴染み、溶け込むよう努めてください。また、東南アジアは美味しい食事が楽しめますので、ぜひその魅力も楽しんでください。

▼取材にご協力いただいた小西鉄 准教授についてはこちら
研究者データベース|福岡女子大学 地域連携センター