
学び続ける力 リカレントストーリー – 東京女子医科大学の“未来医療のためのBMC”
目次
東京女子医科大学の紹介
東京女子医科大学は、1900年、女性が医学教育を受けられることを目的に、医師・吉岡彌生(よしおかやよい)によって設立された東京女医学校を前身としています。
創立者が座右の銘とした「至誠(極めて誠実であること)と愛(慈しむ心)」の心構えを受け継ぎ、指導的位置に立つ女性医師・看護師を育てるべく、教育改革を進めながら、よりよい教育の場、最高の学習環境を整えています。
これまでの伝統を土台に、深い知識・広い視野だけでなく、相手を思いやる気持ちを持った女性医療人の育成を目指しています。
東京女子医科大学・先端生命医科学研究所とは
先端生命医科学研究所は、社会人に対する医学教育「バイオメディカルカリキュラム(以下BMC)」の実施を目指し、1969年に医用技術研究施設として創設されました。医理工薬の異分野融合・産官学融合による先端医療研究開発と、その開発を支え推進する人材の育成を進めてきました。医師と研究者が一体となって、より多くの患者さんの救済に貢献すべく、基礎研究から臨床応用、さらには産業化に至るまでのあらゆる階層において、新しい医療技術の研究開発に取り組んでいます。
2001年からは、当研究所を主体として大学院に、医学部卒者のみならず理工系修士卒者が入学できる先端生命医科学系専攻が設立されています。
これらの活動を通して、数々の医療機器や生体材料の開発、そして近年では再生医療、インテリジェント手術室、スマート治療室など世界レベルの成果を上げています。
また2008年に、本学と早稲田大学による医工融合研究教育拠点である「東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設」通称「TWIns」を設立し、医理工薬融合体制による研究開発をさらに発展させています。また企業と共に、産学の融合体制による先端技術開発を推進、さらにベンチャー企業との共同研究も積極的に進めています。
若手の研究者が基礎・前臨床・臨床そして産業化の一連のプロセスを俯瞰的に見聞きできる環境を整備することで、広い視野を持った融合型の研究者育成につながるものと考えています。
先端生命医科学研究所の医学教育について

【研究所設立と共にスタートしたBMC(バイオメディカルカリキュラム)とは】
今回は先端生命医科学研究所が実施する社会人向けの医学教育・BMCについて、研究所の関根秀一准教授にお話を伺いました。
―まずはBMCの概要についてお聞かせください。
関根 秀一准教授(以下関根氏):未来の医療を担う分野を超えた融合型の新しい医師や研究者の育成を目指すのがBMCです。1969年、先端生命医科学研究所が創設された時期と同時にBMCもスタートしました。2024年度で56期になり、今期も合わせると総勢2259名がここで学んでいることになります。男性が比較的多く、女性は2〜3割ほど、年齢層は30代から40代が中心ですが20〜50代と広がりがあります。
私たちは新型コロナウイルスの脅威を体験し、病気を治すことや予防することに加え、新しい暮らしの在り方を考えることが求められています。
このような時であるからこそ、病気やヒトの身体に関する正しい知識を持ち、材料・機械・情報をはじめとする理工学の知識を総動員して生み出す柔軟な発想こそがとても大切です。
BMCは医学と理工学の両方の知識を持つ、新しいタイプの人材を育成するための公開講座です。
―理科系の技術者だけでなく、マーケティングなどを専門とされている方も受講されているとお聞きしました。
関根氏:確かに中にはいますが、やはり圧倒的に医療系の業界に関わる方が多くなっています。56期では医療機器の開発や販売サービスを行う会社、医療分野へ新規参入する大企業、製薬会社などに勤めている方々がいます。
本来なら医学生が4年間かけて学ぶ医学全般についての正しい知識を1年で学べるダイジェストコースですので、ある程度基礎的な理解力が必要になります。そのためやはり多いのが、医療機器の開発を行う大企業から、教育プログラムの一環として取り入れられているケースになりますね。
またこれまでの修了生からの推薦で、会社の部下や後輩が受講するケースも増えています。修了生が「テストもあって大変だけど、仕事にも役に立つ」とアピールしてくれているおかげです。ある会社では、毎年社内応募にチャレンジして、5年越しでようやく受講できたという方もいます。志を高く持って履修する彼らに対し、その期待に応える濃厚な授業や実習を実現しています。さらに未来医療に向けての考察を深めながら、「30年後の未来医学に関する研究発表」も行います。現状の課題と課題解決に向けて真剣に向き合う時間が、新しい技術開発などに確実につながっています。
【BMCをきっかけに術者支援ロボットの開発が躍進】
―実際にBMCをきっかけに開発が進んだ実績などがあれば教えてください。
関根氏:2014年、第6回ロボット大賞の優秀賞を受賞した術者支援ロボット「iArmS®(アイアームス)」が挙げられます。手術を止めず、術者の「ふるえ」と「疲れ」を止めるというものです。“マイクロ作業における、指先の「ふるえ」や「疲れ」は、手技の精度低下を引き起こす大きな課題”です。
iArmS®は、医師の腕を支えることで疲れや精神的・肉体的負担を軽減し、縫合や切除などの繊細な作業を安定させます。手術に対する医師の集中を最大に高めることを狙いとし、「動く」「とまる」「意のままに」体の一部のように自在に動かせる、優れた操作性を実現した手術支援ロボットです。
BMCの受講生だった株式会社デンソーの技術者と本学大学の教員がBMCで出会ったのが開発のきっかけとなりました。大学の研究成果と株式会社デンソーの産業用ロボット技術が融合し、ヒトとロボットのハイブリッドとも言うべき、類のない術者支援ロボットを生み出すことに成功しました。
―具体的にはBMCでのどのような学びが活かされたのでしょうか。
関根氏:基礎医学から臨床医学、バイオメディカルエンジニアリング、先端医療を総合的に学んだ中で生まれてきた発想だと思います。実習を通し、実際の臨床現場の問題を体験しながら多角的な視点で捉えられたことが功を奏していると考えます。
開発・製品化にかかった期間も3年ほどで、通常よりも大幅に時間短縮できたと聞いています。
【ロボット手術の見学など医療現場の“今”をリアルに体験】
―医療現場の“今”を含めてトータルで学ぶことで、そのより良い未来を切り拓く力になっていっているのですね。他にはどのような講義が進められていますか?
関根氏:研究所で開発した再生医療の技術があり、「細胞シート工学」と名付けられています。ヒトの細胞をシート状に培養して作製した「細胞シート」という薄い膜を用いた再生医療技術です。細胞シートは縫合糸を使わずに患部に貼ることで、細胞や臓器の再生を図ることができます。短時間で生体組織に移植することができ、さまざまな疾患の治療や組織再生を展開しています。BMCではその細胞シートを使用してみる、さらに細胞シートを作製するという実習も行っています。
また最近はロボット手術の導入が進んでおり、今後さらにその流れにシフトしていくことになります。そこでBMCでも、東京女子医科大学病院の呼吸器外科で行われているロボット支援手術の見学を行なっています。同病院では1999年にアメリカで開発され、世界中で活躍する内視鏡手術支援ロボット「ダヴィンチ」を使用しています。
さらには2020年に日本で初めて開発された「hinotori」による遠隔手術など、先駆的な技術を見て学ぶことができます。このような手術現場を目の当たりにできることは、医療機器開発メーカー出身者はもちろん、多くの受講生にとって意味があり、かつインパクトのある体験になっていることでしょう。
【BMC卒業後も「未来医学研究会」を通して交流を深め合う受講生たち】
―次に受講生間の交流についてお伺いします。実際に先ほどのように仕事で連携するようなお話もあれば、そこまで発展しなくても、受講生同士の新たな交流やBMCで出会ったことによる相乗効果などが生まれていることはありますか?
関根氏:BMCの修了生のための学会・研究会に「未来医学研究会」があります。そこで年に1度、研究会大会があり、リアルで集まる場となっております。
BMCのカリキュラムの一つに「未来医学セミナー」があり、30年後の未来医療を考える機会を設けています。受講生と先端生命医科学研究所スタッフで小グループを作り、30年後に実現しそうな未来の医学を予想して個別テーマを設定します。文献調査とグループ討論を通じて、現状の医学・科学技術調査結果と照らし合わせながら、新しい医学研究に関するアイデアを考えます。中間発表会、最終発表会を行い、研究報告書の作成、提出を卒業論文と捉えています。
「未来医学研究会」ではこの研究発表から上位3名の研究内容をピックアップし、さらにブラッシュアップして発表してもらいます。世代を超えて会する有意義な場になっています。未来医学セミナーを通して異業種間でつながり、共に学んだ仲間として友好を深めています。ただ現役生と修了生が交わる仕組みにまではなっていないので、その点は改善していきたいポイントですね。
修了生の企業間での連携の事例はあまりありませんが、修了生はそれぞれの会社での業務に活かしています。各社ともに業務上の秘密情報もあるため、お互いにオープンな情報開示がしづらい立場でもあります。とは言え受講生にとっては確実によい情報交換の場になっているのも事実です。直接的に製品開発を共同で行うということはなくても、間接的にヒントを得ることや、何かしら自社の開発に繋がるアイデアが生み出されていくことなど、その発展性に期待が寄せられています。
BMCをはじめとする先端生命医科学研究所のリカレント教育の未来像
―BMCで得た知識や技術を自社に活かしているということですね。発展性というキーワードが出ましたが、BMCそのものについてはいかがでしょうか。今後さらにどのように発展・成長していくか、その未来像をお聞かせください。
関根氏:BMCのカリキュラムにプラスして、よりリカレント教育・本当の意味での学び直しの仕組みづくりを展開したいと考えています。
現在は企業単位での受講体制(企業が自社従業員に学ばせるリスキリングに近い体制)が主軸になっているので、学び直したい個人のニーズを拾い上げるのがどうしても難しくなっています。よって、例えば基礎医学や臨床医学などテーマを絞り込んで、オンラインでもしっかり学べるようなリカレントプログラムを展開するという構想はあります。また現在のBMCはリアル講座で深く学べるものの、受講生が関東・甲信越エリア在住者に限定されてしまうという難点があります。その問題をクリアする意味でもオンラインを導入し、全国規模に広げていく必然性を感じています。
特に臨床医学の分野は常に情報がアップデートされ、変化も早く、学び直しの頻度及び必要性が高い領域になります。
これだけのカリキュラムが揃っていることは本学の強みですので、より内容を充実し、さらに効果的な価値のあるものに進展させ、全国的な(医療業界全般の)人材育成に貢献することが主な課題であり、展望であると言えます。
ちなみに人材育成の観点から言えば、本学ではBMCとは別に、2014年度から2018年度に「AMED国産医療機器創出促進基盤整備等事業」、2019年度から2023年度に「AMED次世代医療機器連携拠点整備等事業」において人材育成プログラムを実施してきた実績があります。医療機器、特に治療機器の開発を製品上市(Finish)までやり切る人材“Finisher”を育成するための座学・実学融合プログラムで、これまで延べ7400人を超える方々(主に企業)が参加しました。Finisherとは、医療機器業界において開発品を利益に変換するための総合的な能力を持つ人のことを指します。医療機器製品開発の場合はその全てのプロセスにおいて押さえるべきポイントがあります。それらを把握しているだけでも大きな開発力の差となります。そこで本事業では、例えば医療機器開発における医療ニーズ抽出から出口戦略までのテーマごとのセミナーを行うなど、実践的な研修プログラムを取り入れました。また医療現場ニーズと企業ニーズ、その両方の視点から病院や介護老人保健施設などで臨床現場の見学を行いました。多くの企業研究者が現場の実情を知ることで、医療機器研究・開発の一助となる熱い議論を重ねることができました。
“社会のために学び直す”ことこそリカレント教育の意義
―改めて関根先生が考える「学び直し」とは、どのような意味合いを持っているでしょうか?
関根氏:どの分野においても、学び直しの中で何が大切なのかというと、学び直した知識や技術を社会にどう還元できるか、公衆のためにどう役立てることができるか、という点にあるのではないでしょうか。つまり“自分の成長”ももちろん重要ですが、軸足は“社会のため”にあるということです。そのためにも考え続けること。考え続けることで直感が磨かれ、本当のニーズに即した医療機器開発やものづくり、医療サービスの提供ができると私は考えます。そのためにリカレント教育があるわけで、ただ知識や最新情報を吸収して満足するだけにとどまってはいけない。よって受講生には、本来のリカレント教育の意味についてもしっかりと伝えるようにしていますし、そのような志を持って学びを深めることに期待しています。
―とても普遍的な問いかけをいただけたように感じます。貴学のBMCに限らず、すべての“学びへの姿勢”を示していただく、とても良いお言葉だと思いました。
関根氏:ことリカレントにおいては、“社会に対しての影響点”が達成されないといけないと思います。つまり学んだことを社会に返していくということですね。高校生や大学生の頃ではそこまで考えられないですし、目の前の単位を取ることに必死になってしまいますからね。
良い成績を収めて良い大学に合格するとか、そういう視点で教育を受けてきていて、そこにしか時間を割けない風潮で育ってきています。その経験を経て社会に出て、大人になってもう一度学び直しをするということは、これまでの学生時代の学びとは明らかに違います。今までの仕事や失敗、積み重ねた技術などを合わせて、新しいものを生み出すためにあると思います。
BMCで行っている30年後の未来医療を考える「未来医療セミナー」は、まさにその取り組みの一つでもあるわけです。何のために今、自分が学んでいるのか。目の前の課題をこなすことだけになっていないか。私たちもそうした言葉がけを欠かさず、受講生一人ひとりと向き合うようにしています。