技術の未来を切り開く:伊原学教授の警鐘と提言

伊原学教授の経歴

1994年 東京大学工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。

東京大学工学系研究科化学システム工学専攻、東北大学多元物質科学研究所を経て、
2004年に東京工業大学炭素循環エネルギー研究センター、理学研究科化学専攻 助教授。
2016年、物質理工学院応用化学系 教授。

また、東京工業大学 環境エネルギー機構 副機構長、学長補佐を歴任。
2019年11月、東工大InfoSyEnergy 研究/教育コンソーシアム代表、
2020年12月には東工大 エネルギー・情報卓越教育院長に就任、現在に至る。

研究室で取り組んでいるテーマについて

――伊原教授の研究室ではどのようなことを学ぶことができるのでしょうか?

伊原教授:東京工業大学の大岡山キャンパスには2011年に竣工された最先端の環境エネルギー技術の研究が行われる環境エネルギーイノベーション棟があり、ここに我々の拠点があります。縦が34m横が100m、計4570枚の太陽光パネルで、このビルの外側一面に覆われています。

10年ほど昔は太陽電池が主な電源になるなんてありえないという考えの人が多かったのですが、都市でしっかり建築基準を守った上で、このエリアに全部を入れたらどこまでやれるのか、「CO2排出量の徹底的な削減」というコンセプトからチャレンジを始めたのがこのパネルの壁になります。

この棟では太陽電池などの再生可能エネルギーを最大限導入し、燃料電池、ガスエンジン、リチウムイオン蓄電池などを統合的に制御することで70~90%の電力の自給自足を実現しています。私はそのエネルギー機器に関するデータをすべて収集して制御を行う「Ene-Swallow®️(エネスワロー)」というスマートエネルギーシステムの開発を手掛けました。

私の研究室では、化学を基礎とするエネルギー変換技術にデータ科学を活用して推進しています。

災害にも強くEne-Swallow®️の魅力

写真:東京工業大学 環境エネルギーイノベーション棟(EEI棟) 全体像
提供:東京工業大学 伊原・Manzhos研究室

――Ene-Swallow®️について詳しく教えていただけますか?

伊原教授:近年では、災害級の天災も増えてきましたが、もし停電が起こってしまったとしたら蓄電池を利用する必要がありますよね。しかし、使える燃料が限られていたら使い切ってしまうのも時間の問題です。そうなると自家発電ができる太陽光発電などの出番になるのですが、こちらも電力供給と消費のバランスが崩れてしまうと使えなくなってしまいます。

このバランスを上手く取り、安定した電力が供給できるのがこのEne-Swallow®️の特徴だと言えます。このシステムは、カーボンニュートラルに向け、再生可能なエネルギー電源の割合を増やすために、太陽電池などの発電量の変動を考慮し、電力供給と消費のバランスをとり電力ネットワークを安定させるために必要なシステムと考えられています。
この建物だけで1秒~1分の間に約8000ポイントのデータを自動的にサーバーに送っていて、学内全体で大体1万4000ポイント程度のビッグデータを取得できることが我々のさまざまな研究活動の中でも非常に大きな強みになっていると言えます。

取得したビッグデータを使ってエネルギー消費や再生可能エネルギー電源の発電量等をリアルタイムで高精度予測し、電力市場を使って売買をすることで利益を出していくシステムです。いずれはこれが世界的なスタンダードになるように今後も広めていきたいですね。

――教授自身はもともとこのような研究をされていたのですか?

伊原教授:博士課程を修了してから地球環境工学講座の助手(今でいう助教)になったのですが、地球温暖化抑制技術の中でも特に重要なエネルギー変換関係の研究をずっと進めてきました。

昔は環境問題だったのが今は企業活動のために対応しなければならない問題になっていて、ここ3年ぐらいで特に社長や役員などの方々が危機感を現場よりも持っているんじゃないかと思います。

我々のラボとしては元々行っていた電気化学や熱力学などの学理を基礎とした研究に加えて、太陽電池や水素に関するの研究も行っています。次世代太陽電池の開発、水素を使った燃料電池の開発、そして様々なエネルギーデバイスを統合的に制御する新たなスマートエネルギーシステムの開発というのが我々の研究テーマになります。

さらに現在は、カーボン空気二次電池システムというものがありまして、この電池の実現化への取り組みも行っています。

今後の再生可能エネルギーの導入拡大には、水素エネルギー、蓄電池などの蓄エネルギーシステムの開発が最も必要だと考えます。そこで炭素と空気の化学反応を用いた新しい蓄エネルギーシステムとしてカーボン空気二次電池システムを開発し、充放電の実証にも世界で初めて成功しました。この電池には水素を用いる既存システムよりエネルギー密度が高く、高効率化や設備の小型化が見込めるというメリットがあります。

アンビエント・エネルギー社会とは何か

――非常に次世代なエネルギーシステムのように感じられますね。

伊原教授:我々はこのビッグデータを活用した多様なデジタルツインによって実現するカーボンニュートラルと経済成長が両立する社会を目指していて、このような社会を我々はアンビエント・エネルギー社会と呼んでいます。社会においてもこの概念が大切になってきたように思います。

リアルなネットワークで繋がると同時に、仮想空間でも同じ動きを模擬するシミュレーターのようなものを作って、それらを繋げることでリアルとバーチャルの空間がツインになったような社会が生まれます。エネルギーデータは位置情報とは異なる多くの情報を含んでいるので、きめ細かにデータを取得し、そこからさまざまなサービスを生み出すことができると、電力をコントロールする仕組みの中に価値を生み出して新たな産業が創出できるのではないかと思っています。

再生可能エネルギーやエネルギー問題、ウクライナ危機で価格の高騰が続いている中で日本はどうなるんだろうという不安を抱く方は多いかと思いますが、決して負の部分ばかりではありません。新しい技術を開発して、いろいろな新しい価値を生み出し、成長しながらエネルギーを上手く使っていくことができれば良い社会を構築することができるというのがこのアンビエント・エネルギー社会です。

――アンビエント・エネルギー社会をある程度実現している国はあるのですか?

伊原教授:まだないですね。カーボンニュートラルの実現に向けてはどうしてもマイナスに意識が向きがちにはなるのですが、上手く行えば新しい価値を生み出すことができて、新産業になる可能性も期待できます。ですので、我々日本からもスタートアップも含めエネルギー分野でいろいろなものを立ち上げていく必要があり、それらを目指す究極の社会がこのアンビエント・エネルギー社会だと私は思っています。

現在はアンビエント・エネルギー社会実現に向けて、大手の企業やアメリカ・ヨーロッパを中心としたトップの大学と連携をして、国際フォーラムを開催したり、博士学生が交流したりしています。私が長年培ってきた研究や学術を活かして、将来の日本の社会に直結する研究を生み出していかなくてはならないという使命感を持っているので、今が勝負時だと考えています。

取り残される日本の技術の危険性

――ここ10年~20年で中国、韓国あるいは欧州などで凄まじい勢いで技術が常にアップデートされていて、日本が今まで培ってきた技術も抜かれたりしている現実もあるので、今頑張らないと日本が後進国になってしまうリスクも孕んでいますよね。

伊原教授:本当にそう思います。だから他の人がやっていない独創的な研究に勇気を持って取り組み社会に実装していかなきゃいけないですし、そのためにもやはり我々自身がスタートアップベンチャーなどを設立して動かなくてはいけないと考えています。エネルギー関係は今がまさにいろいろな事業を立ち上げていかなくてはいけないフェーズだと思っています。

我々の場合はカーボン空気二次電池という独自の技術の開発や、Ene-Swallow®️の開発でもエネルギー学に基づく知識に加え大量のデータ、ビッグデータを取得でき、活用できると、開発の大幅なスピードアップが期待できます。

我々がやっているのはエネルギーのビッグデータ化と言えます。大量にあるエネルギーをどのように扱ってどう材料開発やシステム開発に生かすのか、さらにそこからどんどんいろいろなものが生まれてくるような技術をしっかりと確立させたいと考えています。

社会実装に向けて必要とされる人材育成

――大学で学べる素晴らしい技術を社会に実装するためにはどういったものが求められるのでしょうか?

伊原教授:エネルギー学理を考慮したうえで、失敗やリスクへを恐れずに挑戦する、とりあえず進めてみるという行動力に近いパッションが必要です。
そんな中で今後我々日本が目指す新しい産業の創造は、「ディープテックベンチャー」ではないかと思います。

ディープテックというのは特定の自然科学分野での高い専門性を持つ研究を通じて得られた科学的な発見に基づく技術であり、その分野で事業化・社会実装を実現できれば、国や世界全体で解決すべき経済社会課題の解決など社会にインパクトを与えられるような潜在力のある技術のことです。また、専門性が高いので、事業化後簡単には競合他社が追いつくことができません。我々日本の大学としてはそこを支援していくのが大事になってきます。

――東京工業大学では実際にどのような取り組みがありますか?

我々の修士・博士一貫のエネルギー・情報卓越教育院では3つの代表的な人材を育てることを目指しています。

一つ目はディープテックでベンチャーを立ち上げるグローバルリーダー、2番目は大手企業で新たなビジネスを立ち上げるグローバルリーダー、3番目は大学で社会をリードしてもらうグローバルリーダーです。

本卓越教育院のステージゲートでは、ビジネス分野で経験豊富な投資家の方やコンサルタントの方、あるいはスタートアップ経験者に外部講師として入っていただき、自分の研究を社会に出していくにはどのようにビジネスプランを立てるのが効果的かといったことを発表して議論します。すぐに実用化できそうな技術もあれば、そうではないものももちろんあるので、そういったたくさんの中から何か新しい産業を立ち上げるリーダーが出てきてくれることを期待しています。また、我々教員も含め、東京工業大学はそういうところに強みを持つ大学になれると個人的には思っています。

エネルギー分野は今やらなきゃいけないことが山ほどあって、それを社会に出していかなきゃいけません。先端のところを社会に出していけるようなスキームを持たないと2050年のカーボンニュートラルはもう間に合わないレベルにあると言えるでしょう。

だからこそ若い人がどんどんいろいろな基軸で立ち上げてもらえるような環境づくり、教育プログラムを我々としても目指しています。しかし、レッドオーシャンにならない専門の学術を備えたディープテックの部分こそが我々が本当に目指す方向性だと言えます。

未来を担う学生に向けてのメッセージ

――最後にアドバイスやメッセージがあればお願いします。

伊原教授:起業したい若者が私に相談に来ることもよくあるのですが、いざ立ち上がった後のことを考えた方がいいよというようなことはよく言っています。ビジネスモデルがはっきりした後でもある程度自分のやっているところに優位性を持っていないとすぐに競合企業に追従されてしまいます。

我々の教育院が取り組んでいるエネルギー学理とデータ科学の融合分野はまだ始まったばかりで、専門家がほとんどいないため、そう簡単にやれる人がいない。そういう自分の高い専門性を持つ強みをエネルギー技術に+αとして情報科学が付加できるような教育がエネルギー・情報卓越教育院の目指すところです。

データ関係やIT関係は使う人が多い技術が勝ちという側面を持っていますが、化学や物理などの科学では、本当の意味で扱えるようになるのはやっぱりドクターまで行かないと難しい分野で、ドクターになって何年かしてからようやく本当のいろんなことが見えてくるところがあります。だから自らがその分野の専門家になり、さらにデータ科学を活用できる人材となると、大変な強みを持ってキャリアを積んでいくことができます。

高い専門性を持った人材は即戦力にもなり、企業にとっても社会にとっても広く求められるような存在です。将来的に日本が世界で戦っていくためにも非常に重要なことです。

我々を始め日本の大学、少なくとも東京工業大学ではディープテックでかつ産業を生み出していく領域を目指していきたいですし、我々の研究室としても先陣を切ってそういったことをやっていきたいと思っています。

▼取材にご協力いただいた伊原学 教授の研究室HPはこちら
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系(エネルギーコース):伊原・Manzhos研究室