
未来志向の対話と共創:川西諭教授のフューチャーセンタープロジェクト
川西諭 教授の経歴
川西諭(かわにしさとし)氏は上智大学教授として活躍される経済学者です。1971年に生まれ、横浜国立大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で経済理論を専攻され、2000年に経済学博士を取得後は上智大学にて学生の指導に当たっておられます。
行動経済学のワークショップを始めたことから、2007年の行動経済学会設立者の一人ともなりました。おもな著書に『ゲーム理論の思考法』(中経出版)、『知識ゼロからの行動経済学入門』(幻冬舎)などがあります。
フューチャーセンター立ち上げの経緯
この章では、フューチャーセンターを立ち上げる前に教授が抱いておられた問題意識や、設立の背景についてお話を伺っています。
変革が求められていた当時の大学
–フューチャーセンターの立ち上げに関わっておられたということで、設立の経緯についてお尋ねしても宜しいでしょうか?
10年前、私は上智大学にフューチャーセンターをつくるためのプロジェクトを始めました。当時の大学の状況は大学改革が進行中で、大きく変化している時期でした。少子化の影響により、大学の存続が危ぶまれる状況もありました。特に、バブル期には激しい受験競争が続き、学生が授業に出席せずに遊んでいるという問題も発生し、私自身も変革の必要性を感じながらも、それを具体化できないでいました。
現状維持は楽な道ですが、大学の授業内容が変わらず、一方でトップダウンで変革が要求されていたため、外見上の変化はあっても中身が変わっていないという矛盾が存在しました。大学の課題についても、当時はまだ皆で考えようという姿勢ではありませんでした。
さらに東日本大震災があり、日本が結果として「失われた30年」と言われるような状況でしたから、私にも、日本はもっと良い国で良い社会を作れるのに、潜在的なものが実現できていないという問題意識が湧いていました。それで外国の実例を見ながら、まず、日本にはコミュニケーションが大きく欠けていることを感じたのです。
フューチャーセンターへ興味を持った契機
海外に目を向けると、特にイギリスの公共事業が非常に進歩的であることに感銘を受けました。日本の公共事業においては、新しい道路建設などに反対運動が頻繁に発生し、その結果、30年や40年もの歳月が経過しても開通しない事例が見受けられます。この状況は、税金や多くの市民の利便性などが犠牲になってしまったと言えるでしょう。
イギリスだけでなく、ヨーロッパ諸国も同様の経験をしており、彼らがたどり着いたのは、公共事業の計画段階からの積極的な市民参加です。日本でも市民参加の話し合いが行われていますが、説明会では行政が立案した計画を、「こういう計画を進めていますが、皆様のご意見はいかがでしょうか」と説明し、反対意見にも「丁寧に説明します」と言うものの、最終的には行政の意向が押し通されることが少なくありません。
日本ではまだ、ステークホルダーの幅広い声を聴きながら計画を策定するのではなく、ごく一部の人々が計画を策定し、周囲の人々に納得させるという形式が主流となっています。
イギリスの手法は、計画段階から関心を寄せる市民が集まり、複数の計画案を立案し、後で市民全体による投票で最適な計画を選び出す方式です。「市民が選んだ計画なので、これを進行させましょう」というアプローチを取っており、この方法を日本でも採用できないかと考えました。
こうした背景から、私がフューチャーセンターに興味を持つきっかけとなりました。ヨーロッパ諸国でこのような取り組みが展開され、議論の場や組織がフューチャーセンターという形で作られつつありました。
日本では企業でフューチャーセンターが始まる
「フューチャーセンター」の理解が深まったのは、野村恭彦氏の著書『フューチャーセンターをつくろう』にお世話になったおかげです。野村氏は、富士ゼロックスという企業内でフューチャーセンターを設立した方です。
ヨーロッパでは、地域や都市の課題を解決するため、行政機関がフューチャーセンターを設けました。ステークホルダーが協力し、未来志向的なプロジェクトを推進するための組織としてのフューチャーセンターです。しかし、野村氏はこれを企業内で実現しようと試みたのです。
大規模な企業においては、各部門が独自の目標を追求していますが、全体としての方向性が不可欠です。企業内には多岐にわたるリソースが存在し、それらを組み合わせて新たな価値を生み出すことが、多くの企業にとって必要とされています。
それを野村氏は実現しようとしており、じつは同じ時期に他の民間企業さんもフューチャーセンターを作ろうと動き始め、企業主体でフューチャーセンター設立の機運が高まっていました。この動きは大学にも波及し、現在では日本国内でもいくつかの大学がフューチャーセンターを設けています。上智大学も比較的早い段階からフューチャーセンターの設立に向けた取り組みを始めた経緯があります。
上智大学でフューチャーセンタープロジェクトを始動
このような経緯で私たちは、大学の中の課題を解決したり、大学の未来を皆で作っていこうということで、2013年にフューチャーセンターをつくるプロジェクトを始動しました。もちろん大学内に限らず、周りの地域の方々とも協力し合ってのことです。
大学のある地元、紀尾井町の「紀尾井フェス」という街のフェスティバルがこの秋にも開催され、私たちも参加させていただきます。街を一緒に歩いて街の歴史や魅力を再発見しようというプログラムで、その基本は「未来志向で色んな人が集まって対話して、関係性を作ろう」という、まさに設立趣旨のとおりです。
私たちは、単に誰かが考えたアイデアを皆に理解してもらい、納得してもらい、進めていくというのではありません。話し合いの中でアイデアを見出して、「ああ、それをやろう、それやろう」という感じで物事を動かすようなやり方。それを上智大学の中で実現できないかと活動を続けています。
「立場の違う人たちが集い、未来志向で対話できる場」の実現と維持
この章では上智大学フューチャーセンタープロジェクトの目指す「立場の違う人たちが集い、未来志向で対話できる場」をつくるにあたり、具体的にどのように取り組み、どのように工夫しているかをお聞きしました。
日本人はコミュニケーションが下手?まずは協力すること
–お話を伺っていますと、フューチャーセンターでは「ひとの育成」という観点より、どちらかというと、立場の違う人たちが未来志向で話ができる場を作りたいという点に重点が置かれている、ということになるでしょうか?
両方の要素が重要だと考えます。集まる場が不足している一方で、場所があってもコミュニケーションの方法についてあまりトレーニングを受けていないのは確かです。
最近のYahooニュースにも取り上げられたように、小学生が親と対話し、相手を論破しようとする「はい論破!」というコミュニケーションのスタイルが問題視されています。大学でも一時期、ディベートが盛んに行われ、自分の主張を論理的に説明し、相手を論破することが良いコミュニケーションとされていました。しかし、実際の社会で論破が本当に役立つのは、裁判など一部の場面に限られるでしょう。企業間の取引でも、一度きりの取引なら自分の利益のために相手を言い負かすことはあるかもしれませんが、長期的なビジネスパートナーに対して「はい論破!」と接することは、その企業との協力関係を損ねる可能性があります。
経済学を学ぶと、社会の発展に関するさまざまな議論が存在します。経済の発展には分業が一因であり、アダム・スミス以来、分業の意義が説かれています。分業が進展しても、お互いに必要なものを効率的に交換するなど、役割分担を実現することが重要です。
会社内でも、誰が何をするのかを納得のうえで決定し、それぞれが気持ちよく働くためにどうしたら良いかを考えると、結局は協力することが重要だと思います。競争を重要視する経済学者もいますが、協力があって初めて社会は機能し、特に会社においては協力が欠かせません。学校の中でも、家庭でも地域でも、お互いに協力することで、安心して気持ちよく助けあうことができます。誰かの助けがあれば、あるいは誰かと一緒なら、従来できなかったことも、実現可能になります。
協力によって、人類はロケットを使って月に到達するような大きな成果を達成してきました。その時に「はい論破!」のように、自分は正しくてお前は間違っているというようなコミュニケーションは求められていません。多くの人はそれを気持ち良いとは思いません。
では、どんなコミュニケーションが必要かというと、相手のことを尊重し、相手のことを理解しようというコミュニケーションだと思うのです。
未来志向で対話できる、ということ
ここで「未来志向で対話できる」ことについて考えてみましょう。例えば物を売る時に、いくらで売るかという話だけに終止していると、パイの奪い合いになってしまいます。短期的な問題解決では利害対立が起こりがちですが、未来志向のアプローチでは「ちょっと、皆でパイを作っていこう」と提言することができるのです。
取引も、取引するだけでも利益があってハッピーになる部分があります。しかし、取引を継続したいなら、まずは気持ちよく取引できる関係性を作りたいと思います。他の人からでなく「この人から買いたい」と思えるような関係性を作るためには、やはり相手をリスペクトし、大切に思っているということをコミュニケーションの中で伝えていくことが重要です。
また、フューチャーセンターでは色んなアイデアが出てきますが、アイデアが出るだけでは駄目です。面白いアイデアでも誰もやらないなら絵に描いた餅で、私たちが大事にしているのはアイデアと同時に「ああ、これやりたいね」、「この人と一緒にやりたいね」という協力関係を築くことです。そのために、場のコミュニケーションでの暗黙のルールのようなものを、運営する側が作っていきます。どんな意見が出てきても頭ごなしに否定はしません。
反対意見を否定しない

例えば「こんなことやって何の意味があるんだ?」と言う人がいます。実際、そのような疑問をお持ちの方が訪れることもあります。このような場面で、単純に「そう思うのであれば、お越しいただかなくても結構です」とお答えすることはできますが、私たちは異なるアプローチを取ります。
「なるほど、そのようにお考えですね。では、どのようなご意見をお持ちか、皆さまに共有いただけませんでしょうか?」とお尋ねし、その方の視点を共有しようと努力します。この際、反論を述べるのではなく、相手が何に焦点を当て、何に懸念を抱いているかを理解しようとします。そして、「私たちはそれに気付いておりませんでした」とか、「その点は極めて重要だと考えます」といった言葉を用い、対話を進めることで、相手が安心感を感じることができます。
変革により、すべての人が同じように幸福になるわけではありません。従来通りの状況を好む方もおり、反対意見があればスムーズな進展が阻まれることもあります。私たちもそれを何度も経験しましたし「やっても無駄だよ」と言われたこともあります。
しかし「そういう意見があるのも分かっています。でも私たちはこういうふうに考えています」と、きちんと話して「ちょっと無謀だと思いますがやってみます」という意志を伝えます。安易に否定したり批判したり敵を作ったりするのは、じつは簡単なのです。それでは駄目ではないかというのが、私たちの考え方です。
私たちが目指すのは、意見の異なる人たちにも一定の理解が得られるコミュニティー作りです。場としては上智大学のキャンパスがありますが、特定の場所は専有しておらず、フューチャーセンターという場所があるわけではありません。
場を維持するためのアプローチと取り組み
つまり場所でなく組織があるということです。例えば大学で、学生が学生をサポートするピア・サポートという活動をしようという話が出た時に「ああ、それいいですね」と思う人が結構います。学生も、職員も、卒業生も「いいね、いいね」との声が寄せられ、それならば、皆さんと協力して計画を練り、実行していこうというのが私たちのワークショップです。私たちの役割は、対話の場を提供し育てていくことです。
参加いただいた皆さんに、何ができるか、何をやりたいかのアイデアを出してもらいます。出たアイデアに、「それ、いいね」という感想を共有してもらい、思いをどんどん語っていくと、やりたいことが具体的な形になって見えてきます。話していると、話している人の中でワクワクする気持ちが生まれ「もう絶対、大学でやりましょうよ、これ!」という感じになったら、もうあとは「どうぞ、どうぞ」となります。
ただし、新たな取り組みをゼロから始めることは、大変な負担を伴うこともありますね。その点で私たちは、ゼロから何かを始め、何かを成し遂げるという成功体験を学生、教職員、卒業生の皆さんに提供したいと考えています。それを通じて、さらなる新しいアクションにも挑戦し続けたいと思っています。
心に残った「ひとの成長」
–疑問を投げかける方もいるし、滅茶苦茶良い!と言ってくださる方もいる中で、特に印象に残ったエピソードがありますか?
やはり教育者としては「ひと」が育ち、成長していったことです。ある女子学生がいて、彼女は自分は成績が悪いし能力も劣っていると思っているような人でした。しかし、積極性があってお笑いサークルでも活躍するようなパワフルな学生でした。
ある時、彼女が就職活動やキャリアに関するワークショップを担当してみたいということになり、「やろうよ!」ということで、司会をすることになりました。ワークショップはシリーズものになっており、彼女はその年の司会を務め、最初は徹夜で準備してもトラブルの連続という状態でした。しかし、結果的には良い形でイベントを終えることができ、それはおそらく彼女にとって、最初の成功体験だったと思います。
その後、2回めは英語でプログラムを組み、得意ではなかった英語で司会進行をこなし、さらにはもっと大きな企画も担当するほど自信がついたようです。彼女は卒業し、今では大企業で活躍しています。経験が自信となって活動が広まったわけで、このように学生が成長したという実例が最も印象に残っています。
ちなみに教職員にも、非常に協力してくださる方がいます。大学は現在、変革が進んでいることもあり、私も教職員も本当に忙しいのです。以前は一方通行の授業をして、毎年同じノートの講義で同じところで冗談を言ったり、同じ授業の最後に試験をやって終わりという傾向があったのですね。
しかし、今日では出席やアクティブラーニングを評価し、新しいアプローチを取ることが求められています。また、新しい学科の創設や英語での授業実施など、この20年くらいの間に諸々の変革を求められ、多くの会議や調整が必要です。この状況が続いたら、もう体が持たないのではないかと思うほど多忙です。
このような状況でも、教職員は協力し合い、共同でプロジェクトを計画し、成果を上げています。前述のピア・サポート活動も、他大学と比べても優れた成果を上げており、これはフューチャーセンターの一環として誇りに思っています。
アクティブ・コモンズでパブリックビューイングを開催
何年か前に新しいカフェテリアが作られた時も、デザインなどを学生、教職員、卒業生が一緒になって考え、いまのアクティブ・コモンズができました。ファミレスのような席や、カフェテーブル、お一人様席など多様な空間があり、床も絨毯のようなスペースもあります。以前は広いわりに暗い感じで、学生たちもあまり寄り付かない場所でしたが、現在はじつに賑やかで、私も好きな場所となっています。
アクティブ・コモンズの利用方法についても検討が行われました。例えば、一人用の席には充電用のコンセントが備えられていますが、初期段階では学生が一斉に充電を行うことが問題視されました。
しかしながら、この点において新たな視点を持つことが必要です。電気代よりも重要なのは、学生が周りに人がいるこの環境で他の人々と共にレポートを書いたりする経験であるという議論が行われました。
ここでは、各種のイベントも開催されており、特に記憶に残るのはパブリックビューイングをやったことです。ロシアワールドカップの初戦、コロンビア戦でした。相手が強豪なので日本が勝つとはあまり思えなかったのですが、大金星を上げて勝ったという試合で、皆で興奮に包まれ、終わった時にはこういうことが上智でできるなんて素敵だねと思ったものです。
パブリックビューイングの実現には各所との調整が必要でした。試合は夜に開催され、キャンパスに夜遅くまで滞在するのは普通ではありません。このようなイベントは学生だけでは開催できず、積極的な教職員の協力が不可欠で、通常業務の合間に時間を確保し、一丸となって準備を行いました。まさにお祭りのような雰囲気でしたが、皆で協力して成功させることができたことは非常に良かったと思います。
また、浴衣デーというイベントも開催され、学生たちが授業に浴衣を着て参加することが許可されています。このイベントは2012年に始まり、浴衣を着て授業を受けるだけでも楽しい経験でしたが、皆で話し合った結果、2019年の浴衣デーには管弦楽団 とNew SwingJazz Orchestraの協力でコンサートが開催されました。
教職員も浴衣で参加し、浴衣を着ていない人々も一緒にクラシックやジャズ音楽を楽しんだりして、そういう場を皆で作れたということが印象に残っています。
今後の展望と教訓
最後にフューチャーセンターについて今後の展望と、これまで得た教訓についてお聞きしました。
未来に向けての展望
–ではフューチャーセンターの展望と言いますか、どのように成長させていきたいかについて、お話いただきたいと思います。
今後の成長については常に考えています。今年で10周年を迎え、さらに10年くらいやりたいと思うのですが、10年でやっと土台ができたという気持ちです。今後、やはり「ひと」が育たないといけないので、同じような経験をした人をどんどん増やしていくことが今後の展望です。
どうなるかは私一人でないため分かりませんが、学生や教職員の人たちが作ってくれる未来を、私も楽しみながら見ていきたいと思っています。
話し合いの場で「こんな結論になるといいかな」という予想も湧いてきたりしますが、一番嬉しいのは、そんな予想や期待を超える面白いアイデアや成果が出てくることです。そういう楽しい瞬間を見出していきたいというのが、成長と展望についての私の思いです。
ー学生が何かを提案しようとしても、教職員が「それは手間だしお金かかるし、止めようか」と言ったら成長はなくなるわけですね。しかし上智大学には、そんな展開にならないような学風があるのを感じます。
私はそれを文化と呼んでおりますが、新たな文化を構築しようと考えております。一般的には上智大学は語学力や国際性があり、企業からは上智大学の学生は真面目で礼儀正しいと評価されております。しかし、その礼儀正しい中にも、皆様が積極的かつ主体的に様々なことに取り組もうとする力が備わっているのです。
上智大学は特に女性が力強い存在であり、多くの女子学生が第一志望として入学していると言われております。大変な誇りを持って入学しているわけで、大志を抱いている女子学生も多数います。
したがって、皆さん自身の力で社会を変えることが可能であるとの確信を持っており、実際に社会を変革する人材が多く育成されることを願っております。
最も大切な教訓とは
–では最後に、教訓についてお願いします。
教訓はいっぱいあって、色んなことを学ばせてもらっています。まだまだ自分も未熟であるということを、様々な人と接する中で気付かされているところです。また、自分が常にチャレンジしている人は、周囲から言われるまでもなく、失敗を通じて自分の至らないところに気づくものでしょう。
昨今、多様性ということが強調されますが、対話をして、本当に相手のことを理解しようとして初めて、相手が自分と違うということに気が付きます。そういうことを知らない自分だったことにも気付きます。
まだまだ、自分には見えていない世界があるだろうと自覚しつつも、しかし、人々が分断したり対立したりしている世の中は良いとは思えません。ですから、何らかのソリューションを見つけたいし、私なりに自分たちはこういう道を進んでいこうと思えるものを見つけたいと思っています。
まとめると、やはり教訓としては「自分の未熟さを忘れないでいよう」ということですね。